摘要ノート「資本論」(26)

第八章 労働日

第七節 標準労働日のための闘争

イギリスの工場立法が諸外国におこした反応

労働が資本に従属することによって生産様式そのものの姿が変えられるということはまったく別としても、剰余価値の生産または剰余労働の抽出は、資本主義的生産の独自な内容と目的とをなしている。…これまで展開された立場では、ただ独立な、したがって法定の成年に達した労働者だけが、商品の売り手として、資本家と契約を結ぶのである。だから、われわれの歴史的素描のなかで、一方では近代的産業が、他方では肉体的にも法律的にも未成年なものの労働が主役を演じているとすれば、その場合われわれにとっては、前者はただ労働搾取の特殊な部面として、後者はただその特に適切な実例として、認められているだけである。

第一に。
水や蒸気や機械によってまっさきに革命された諸産業で、すなわち近代的生産様式のこの最初の創造物である木綿、羊毛、亜麻、絹の紡績業と織物業とで、まず最初に、限度も容赦もない労働日の延長への資本の衝動が満たされる。変化した物質的生産様式と、これに対応して変化した生産者たちの社会的諸関係とは、まず無限度な行き過ぎを生みだし、次には反対に社会的な取締りを呼び起こし、この取り締まりは、中休みを含めての労働日を法律によって制限し規制し一様化する。それゆえ、19世紀の前半にはこの取締りはただ例外立法として現われるだけである。それが新しい生産様式の最初の領域を征服し終わったときには、その間に他の多くの生産部門が本来の工場体制をとるようになっていただけでなく、…古臭い経営様式をもつマニュファクチャも、…分散的ないわゆる家内労働でさえも、もうとっくに工場工業とまったく同じに資本主義的搾取のもとに陥っていたということが見いだされた。それゆえ、立法は、その例外法的性格をしだいに捨て去るか、または、イギリスのように立法がローマ的な決疑法的なやり方をするところでは労働が行なわれていればどんな家でも任意に工場だと宣言するか、どちらかを余儀なくされたのである。

第二に。
いくつかの生産様式では労働日の規制の歴史が、また他の生産様式ではこの規制をめぐって今なお続いている闘争が、明白に示していることは、資本主義的生産のある程度の成熟段階では、個別的な労働者、自分の労働力の「自由な」売り手としての労働者は無抵抗に屈服するということである。それゆえ、標準労働日の創造は、長い期間にわたって資本家階級と労働者階級とのあいだに多かれ少なかれ隠然と行なわれていた内乱の産物なのである。この闘争は近代的産業の領域で開始されるのだから、それはまず近代産業の祖国、イギリスで演ぜられる。イギリスの工場労働者は、ただ単にイギリスの労働者階級だけのではなく、近代的労働者階級一般の選手だったが、彼らの理論家もまた資本の理論にたいする最初の挑戦者だった。

フランスはイギリスのあとからゆっくりびっこを引いてくる。12時間法の誕生のためには二月革命が必要だったが、この法律もそのイギリス製の原物に比べればずっと欠陥の多いものである。それにもかかわらず、フランスの革命的な方法もその特有の長所を示している。それはすべての作業場と工場とに無差別に同じ労働日制限を一挙に課してしまうのであるが、これに比べて、イギリスの立法は、ときにはこの点、ときにはあの点で、やむをえず事態の圧力に屈服するものであって、どうしても新しい裁判上の紛糾を生みやすいのである。他方、フランスの法律は、イギリスではただ児童や未成年者や婦人の名で戦いとられただけで近頃やっと一般的な権利として要求されているものを、原則として宣言しているのである。

北アメリカ合衆国では、奴隷制度が共和国の一部をかたわにしていたあいだは、独立な労働運動はすべて麻痺状態にあった。黒い皮の労働が焼き印を押されているところでは、白い皮の労働が解放されるわけがない。しかし、奴隷制度の死からは、たちまち一つの新しく若返った生命が発芽した。ボルティモアの全国労働者大会(1866年8月16日)は次のように宣言する。「この国の労働を資本主義的奴隷制度から開放するために必要な現下最大の急務は、アメリカ連邦のすべての州で標準労働日を8時間とする法律の制定である。われわれは、この輝かしい成果に到達するまで、われわれの全力を尽くすことを決意した。」それと同時に(1866年9月始め)ジュネーブの「国際労働者大会」(第一インタナショナルの大会)は、ロンドンの総務委員会の提案にもとづいて、次のように決議した。「われわれは労働日の制限を、それなしには他のいっさいの解放への努力が挫折するよりほかはない一つの予備条件として宣言する。…われわれは八労働時間を労働日の法定限度として提案する。」

われわれの労働者は生産過程にはいったときとは違った様子でそこから出てくるということを、認めざるをえないであろう。市場では彼は「労働力」という商品の所持者として他の商品所持者たちに相対していた。つまり、商品所持者にたいする商品所持者としてである。彼が自分の労働力を資本家に売ったときの契約は、彼が自由に自分自身を処分できるということを、いわば白紙の上に墨くろぐろと証明した。取引がすんだあとで発見されるのは、彼が少しも「自由な当事者」ではなかったということであり、自分の労働力を売ることが彼の自由である時間は彼がそれを売ることを強制されている時間だということであり、じっさい彼の吸血鬼は「まだ搾取される一片の肉、一筋の腱、一滴の血でもあるあいだは」手放さないということである。彼らを悩ました蛇にたいする「防衛」のために、労働者たちは団結しなければならない。そして、彼らは階級として、彼ら自身が資本との自由意志的契約によって自分たちと同族とを死と奴隷状態とに売り渡すことを妨げる一つの国法を、超強力な社会的障害物を、強要しなければならない。「売り渡すことのできない人権」のはでな目録に代わって、法律によって制限された労働日というじみな大憲章が現われて、それは「ついに、労働者が売り渡す時間はいつ終わるのか、また彼自身のものである時間はいつ始まるのか、を明らかにする」のである。

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