労働日は、労働力そのものの再生産に必要な労働時間を越えて、どれだけ延長されうるか?
資本は、剰余労働を求めるその無際限な盲目的な衝動、その人狼的渇望をもって、労働日の精神的な最大限度だけでなく、純粋に肉体的な最大限度をも踏み越える。資本は、身体の成長のためや発達のためや健康維持のための時間を横取りする。資本は、外気や日光を吸うために必要な時間を取り上げる。資本は、食事時間をへずり、できればあおれを生産過程そのものに合併する。したがって、ただの生産手段としての労働者に食物があてがわれるのは、ボイラーに石炭が、機械に油脂が加えられるようなものである。生命力を集積し更新し活気づけるための健康な睡眠を、資本は、まったく疲れきった有機体の蘇生のためにどうしても欠くことのできない時間だけの麻痺状態に圧縮する。ここでは労働力の正常な維持が労働日の限界を決定するのでなく、逆に、労働力の一日の可能なかぎりの最大の支出が、たとえそれがどんなに不健康で無理で苦痛であろうとも、労働者の休憩時間の限界を決定する。資本は労働力の寿命を問題にしない。資本が関心を持つのは、ただただ、一労働日に流動化されうる労働力の最大限だけである。資本が労働力の寿命の短縮によってこの目標に到達するのは、ちょうど、貪欲な農業者が土地の豊度の略奪によって収獲の増大に成功するようなものである。つまり、本質的に剰余価値の生産であり剰余労働の吸収である資本主義的生産は労働日の延長によって人間労働力の萎縮を生産し、そのためにこの労働力はその正常な精神的および肉体的な発達と活動との諸条件を奪われるのであるが、それだけではない。資本主義的生産は労働力そのものの早すぎる消耗と死滅とを生産する。それは、労働者の生活時間を短縮することによって、ある与えられた期間のなかでの労働者の生産時間を延長するのである。
どんな株式投機の場合でも、いつかは雷が落ちるにちがいないということは、だれでも知っているのであるが、しかし、だれもが望んでいるのは、自分が黄金の雨を受けとめて安全な所に運んでから雷が隣人の頭に落ちるということである。わが亡きあとに洪水はきたれ!
これが、すべての資本家、すべての資本家国の標語なのである。だから資本は、労働者の健康や寿命には、社会によって顧慮を強制されないかぎり、顧慮を払わないのである。肉体的および精神的な萎縮や早死にや過度労働の責め苦についての苦情にたいしては、資本はつぎのように答える。この苦しみはわれわれの楽しみ(利潤)をふやすのに、どうしてそれがわれわれを苦しめるというのか?と。しかし、一般的にいって、これもまた個々の資本家の意志の善悪によることではない。自由競争が資本主義的生産の内在的な諸法則が個々の資本家にたいしては外的な強制法則として作用させるのである。
標準労働日の制定は,資本家と労働者との何世紀にもわたる闘争の結果である。しかし、この闘争の歴史は、相反する二つの流れを示している。たとえば、現代のイギリスの工場立法を、14世紀からずっと18世紀の半ばに至るまでのイギリスの労働取締法と比較してみよ。現代の工場法が労働日を強制的に短縮するのに、以前の諸法令はそれを強制的に延長しようとする。資本がやっと生成してきたばかりでまだ単なる経済的諸関係の力によるだけでなく国家権力の助けによっても十分な量の剰余労働の吸収権を確保するという萌芽状態にある資本の要求は、資本がその成年期にぶつぶつ言いながらしぶしぶなさざるをえない譲歩に比べれば、まったく控えめに見える。資本主義的生産様式の発展の結果、「自由な」労働者が、彼の習慣的な生活手段の価格で、かれの能動的な生活時間の全体を、じつに彼の労働能力そのものを売ることに、つまり彼の長子特権を一皿のレンズ豆で売ることに、自由意志で同意するまでには、すなわち社会的にそれを強制されるまでには、数世紀の歳月が必要なのである。それゆえ、14世紀の半ばから17世紀の末まで資本が国家権力によって成年労働者に押しつけようとする労働日の延長が、19世紀の後半に子供の血の資本への転化にたいして時おり国家によって設けられる労働時間の制限とほぼ一致するのは、当然のことである。今日たとえばマサチュセッツ州で、この北アメリカ共和国の現在まで最も自由な州で、12歳未満の子供の労働の国家的制限として布告されているものは、イギリスでは17世紀の半ばごろにはまだ血気盛んな手工業者やたくましい農僕や巨人のような鍛冶屋の標準労働日だったのである。
資本の魂が 1770 年にはまだ夢に描いていた受救貧民のための「恐怖の家」が、数年後にはマニュファクチャ労働者自身のための巨大な「救貧院」としてそびえ立った。それは工場とよばれた。そして…理想は現実の前に色あせたのである。