摘要ノート「資本論」(22)

第八章 労働日

第二節 剰余労働への渇望 工場主とボヤール

資本が剰余労働を発明したのではない。いつでも、社会の一部のものが生活手段を独占している場合には労働者は、自由であろうと不自由であろうと、自分自身を維持するために必要な労働時間に余分な労働時間をつけ加えて、生産手段の所有者のために生活手段を生産しなければならない。この所有者がアテナイの貴族であろうとエトルリアの神政官であろうとローマの市民であろうとノルマンの領主であろうとアメリカの奴隷所有者であろうとワラキアのボヤールであろうと現代の大地主や資本家であろうと。
 とはいえ、ある経済的社会構成体のなかで生産物の交換価値ではなく使用価値のほうが重きをなしている場合には、剰余労働は諸欲望の狭いにせよ広いにせよとにかく或る範囲によって制限されており、剰余労働にたいする無制限な欲望は生産そのものの性格からは生じないということは明らかである。それだから、古代でも、交換価値をその独立の貨幣姿態で獲得しようとする場合、すなわち金銀の生産では恐ろしいまでに過度労働が現われるのである。…といってもこれは古代世界では例外である。
 ところが、その生産がまだ奴隷労働や夫役などという低級な形態で行われている諸民族が、資本主義的生産様式の支配する世界市場に引き込まれ、世界市場が彼らの生産物の外国への販売を主要な関心事にまで発達させるようになれば、そこでは奴隷制や農奴制などの野蛮な残虐の上に過度労働の文明化された残虐が接ぎ木されるのである。
夫役はドナウ諸侯国では現物地代その他の農奴制付属物と結びつけられていたが、しかし支配階級への決定的な貢租となっていた。このような所では夫役が農奴制から発生したことはまれで、むしろたいていは反対に農奴制が夫役から発生した。ルーマニア諸州でもそうだった。これら諸州の元来の生産様式は共同所有を基礎としていたが、それはスラブ的形態の共同所有ではなく、インド的形態のそれではなおさらなかった。土地の一部分は自由な私的所有として共同体の構成員によって独立に管理され、他の部分-ager publicus「公共地」-は彼らによって共同に耕作された。この共同労働の生産物は、一部は凶作その他の災害のための予備財源として役だち、一部は戦費や宗教費やその他の共同体支出をまかなうための国庫として役だった。時がたつにつれて、軍事関係や教会関係の高職者たちは共有財産といっしょに共有財産のための仕事を横領した。自分たちの公共地での自由な農民の労働は、公共地盗人たちのための夫役に変わった。それと同時に農奴制諸関係が発展した。

イギリスの工場法は剰余労働にたいする渇望の消極的な表現である。この法律は、国家の側からの、しかも資本家と大地主との支配する国家の側からの、労働日の強制的制限によって、労働力の無際限な搾取への資本の衝動を制御する。

完全時間労働する労働者を「全日工」と呼び、6時間しか労働することを許されない13歳未満の子供を「半日工」と呼ぶこと以上に特別なことはない。労働者はここでは人格化された労働時間以外のなにものでもない。すべての個人差は、「全日工」と「半日工」との差異に解消されるのである。
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