摘要ノート「資本論」(12)

第三章 貨幣または商品流通

( 第三節  貨幣 )

b 支払手段

[149] 商品流通の発展につれて、商品の譲渡を商品価格の実現から時間的に分離するような事情が発展する。…一方の商品所持者は、現にある商品を売り、他方は、貨幣の単なる代表者として、または将来の貨幣の代表者として、買うわけである。売り手は債権者となり、買い手は債務者となる。ここでは、商品の価値形態の展開が変わるのだから、貨幣もまた別の一機能を受け取るのである。貨幣は支払手段になる。

債権者または債務者と言う役割は、ここでは単純な商品流通から生ずる。この商品流通の形態の変化が売り手と買い手とにこの新しい極印を押す。…対立は、いまではその性質上あまり気持ちのよくないものに見え、また、いっそう結晶しやすいものである。…貨幣形態ー債権者と債務者との関係は一つの貨幣関係の形態をもっているーは、ここでは、ただ、もっとも深く根ざしている経済的生活条件の敵対関係を反映しているだけである。

買い手は自分が商品を貨幣に転化させるまえに貨幣を商品に再転化させる。すなわち、第一の商品変態よりもさきに第二の商品変態を行う。売り手の商品は流通するが、その価格をただ私法上の貨幣請求権に実現するだけである。その商品は貨幣に転化するまえに使用価値に転化する。その商品の第一の変態はあとからはじめて実行されるのである。

支払手段としての貨幣の機能は、媒介されない矛盾を含んでいる。諸支払が相殺されるかぎり、貨幣は、ただ観念的に計算貨幣または価値尺度として機能するだけである。現実の支払がなされなければならないかぎりでは、貨幣は、流通手段として、すなわち物質代謝のただ瞬間的な媒介的な形態として現れるのでなく、社会的労働の個別的な化身、交換価値の独立な定在、絶対的商品として現れるのである。この矛盾は、生産・商業恐慌中の貨幣恐慌と呼ばれる瞬間に爆発する。貨幣恐慌が起きるのは、ただ、諸支払の連鎖と諸支払の決済の人工的な組織が十分に発達している場合だけのことである。この機構の比較的一般的な攪乱が起きれば、それがどこから生じようとも、貨幣は、突然、媒介なしに、計算貨幣というただ単に観念的な姿から堅い貨幣に一変する。それは、 卑俗な商品では代わることができないものになる。商品の使用価値は無価値になり、商品の価値はそれ自身の価値形態のまえに影を失う。たったいままで、ブルジョアは、繁栄に酔い開花を自負して、貨幣などは空虚な妄想だと断言していた。商品こそは貨幣だ、と。いまや世界市場には、ただ貨幣だけが商品だ!という声が響きわたる。鹿が清水を求めて鳴くように、彼の魂は貨幣を、この唯一の富を求めて叫ぶ。恐慌のときには、商品とその価値姿態すなわち貨幣との対立は、絶対的な矛盾にまで高められる。したがってまた、そこでは貨幣の現象形態がなんであろうとかまわない。支払に用いられるのがなんであろうと、金であろうと、銀行券などのような信用貨幣であろうと、貨幣飢饉に変わりはないのである。

信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能から直接に発生するものであって、それは、売られた商品にたいする債務証書そのものが、さらに債権の移転のために流通することによって、発生するのである。

商品生産が或る程度の高さと広さとに達すれば、支払手段としての貨幣の機能は商品流通の部面を越える。貨幣は契約の一般的商品となる。地代や租税などは現物納付から貨幣支払に変わる。・・・アジアでは同時に国家租税の重要な要素でもある地代の現物形態が、自然関係と同じ不変性をもって再生産される生産関係にもとづいているのであるが、この支払形態はまた反作用的に古い生産関係を維持するものである。…ヨーロッパによって強制された外国貿易が日本で現物地代から貨幣地代への転化を伴うならば、日本の模範的な農業もそれでおしまいである。この農業の狭い経済的立地条件は解消するであろう。

支払手段としての貨幣の発展は、債務額の支払期限のための貨幣蓄蔵を必要にする。独立な致富形態としての貨幣蓄蔵はブルジョア社会の進歩につれてなくなるが、反対に、支払手段の準備金という形では貨幣蓄蔵はこの進歩につれて増大するのである。

c 世界貨幣

国内流通部面から外に出るときには、貨幣は価格の度量標準や鋳貨や補助貨や価値章標という国内流通部面でできあがる局地的な形態を再び脱ぎ捨てて、貴金属の元来の地金形態に逆もどりする。世界商業では、諸商品はそれらの価値を普遍的に展開する。したがってまた、ここでは諸商品にたいしてそれらの独立の価値姿態も世界貨幣として相対する。世界市場ではじめて貨幣は、十分な範囲にわたって、その現物形態が同時に抽象的人間労働の直接に社会的な実現形態である商品として、機能する。貨幣の定在様式はその概念に適合したものになる。

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