イギリスでは農奴制は14世紀の終わりごろには事実上なくなっていた。当時は、そして15世紀にはさらにいっそう、人口の非常な多数が自由な自営農民から成っていた。
資本主義的生産様式の基礎をつくりだした変革の序曲は、15世紀の最後の三分の一期と16世紀の最初の数十年間に演ぜられた。…王権や議会に最も頑強に対抗しながら、大封建領主は、土地に対して彼自身と同じ封建的権利をもっていた農民をその土地から暴力的に駆逐することによって、また農民の共同地を横領することによって、比べものにならないほどより大きなプロレタリアートをつくりだしてのである。これに直接の原動力を与えたものは、イギリスではとくにフランドルの羊毛マニュファクチュアの興隆とそれに対応する羊毛価格の騰貴だった。古い封建貴族は大きな封建戦争に食い尽くされていたし、新しい貴族は、貨幣が権力中の権力になった新しい時代の子だった。だから、耕地の牧羊場化は新しい貴族の合言葉になったのである。…資本主義体制の要求したものは、…民衆の隷属状態、民衆自身の雇い人への転化、民衆の労働手段の資本への転化だった。
民衆の暴力的な収奪過程は16世紀には宗教改革によって、またその結果としての大がかりな教会領の横領によって、新たな恐ろしい衝撃を与えられた。カトリック教会は宗教改革の時代にはイギリスの土地の一大部分の封建的所有者だった。修道院などに対する抑圧は、その住人をプロレタリアートのなかに投げ込んだ。教会領そのものは大部分は国王の強欲な寵臣に与えられるか、または捨て値で投機的な借地農業者や都市ブルジョアに売り渡され、彼らは旧来の世襲領民を大勢いっしょに追い出して、領民たちの農場をひとまとめにした。…教会領は古代的な土地所有関係の宗教的堡塁になっていた。その崩壊とともに、この関係ももはや維持できなくなったのである。
教会領の横領、国有地の詐欺的な譲渡、共同地の盗奪、横領と容赦のない暴行とによって行なわれた封建的所有や氏族的所有の近代的私有への転化、これらはみなそれぞれ本源的蓄積の牧歌的な方法だった。それらは、資本主義的農業のための領域を占領し、土地を資本に合体させ、都市工業のためにそれが必要とする無保護なプロレタリアートの供給をつくりだしたのである。