封建家臣団の解体によって、また断続的な暴力的な土地収奪によって追い払われた人々、この無保護なプロレタリアートは、それが生みだされたのと同じ速さでは、新たに起きてくるマニュファクチュアによって吸収されることができなかった。他方、自分たちの歩く慣れた生活の軌道から突然投げ出された人々も、にわかに新しい状態の規律に慣れることができなかった。彼らは群を成して乞食になり、盗賊になり、浮浪人になった。それは、一部は性向からでもあったが、たいていは事情の強制によるものだった。こういうわけで、15世紀の末と16世紀の全体とをつうじて、西ヨーロッパ全体にわたって浮浪にたいする血の立法が行なわれたのである。今日の父祖たちは、まず第一に、彼らに強要された浮浪民化と窮民化とにたいする罰を受けたのである。立法は彼らを「自由意志による」犯罪者として取り扱った。そして、もはや存在しない古い諸関係のもとで労働を続けるかどうかも彼らの善意によって定まるものと推定した。
暴力的に土地を収奪され追い払われ浮浪人にされた農村民は、奇怪な恐ろしい法律によって、賃労働の制度に必要な訓練を受けるためにむち打たれ、焼き印を押され、拷問されたのである。一方の極に労働条件が資本として現われ、他方の極に自分の労働力のほかに売るものがないという人間が現われることだけでは、まだ十分ではない。このような人間が自発的に自分を売らざるをえないようにすることだけでも、まだ十分ではない。資本主義的生産が進むにつれて、教育や伝統や慣習によってこの生産様式の諸要素を自明な自然法則として認める労働者階級が発展してくる。完成した資本主義的生産過程の組織はいっさいの抵抗をくじき、相対的過剰人口の不断の生産は労働の需要供給の法則を、したがってまた労賃を、資本の増殖欲求に適合する軌道内に保ち、経済的諸関係の無言の強制は労働者にたいする資本家の支配を確定する。経済外的な直接的な強力も相変わらず用いられはするが、しかし例外的でしかない。事態が普通に進行するかぎり、労働者は「生産の自然法則」に任されたままでよい。すなわち、生産条件そのものから生じてそれによって保証され永久化されているところの資本への労働者の従属に任されたままでよい。資本主義的生産の歴史的生成期にはそうではなかった。興起しつつあるブルジョアジーは、労賃を「調節する」ために、すなわち利殖に好都合な枠のなかに労賃を推しこんでおくために、労働日を延長して労働者自身を正常な従属度に維持するために、国家権力を必要とし、利用する。これこそは、いわゆる本源的蓄積の一つの本質的な契機なのである。