摘要ノート「資本論」(54)

第24章 いわゆる本源的蓄積

第一節 本源的蓄積の秘密

どのようにして貨幣が資本に転化され、資本によって剰余価値がつくられ、また剰余価値からより多くの資本がつくられるかは、これまでに見てきたところである。ところで、資本の蓄積は剰余価値を前提し、剰余価値は資本主義的生産を前提するが、資本主義的生産はまた商品生産者たちの手のなかにかなり大量の資本と労働力とがあることを前提する。だから、この全運動は一つの悪循環をなして回転するように見えるのであり、われわれがこの悪循環から逃げ出すためには、ただ、資本主義的蓄積に先行する『本源的」蓄積、すなわち資本主義的生産様式の結果でなくその出発点である蓄積を想定するよりほかはないのである。

貨幣も商品も最初から資本ではないのであって、ちょうど生産手段や生活手段がそうでないのと同じことである。これらのものは資本への転化を必要とする。しかし、この転化そのものは一定の事情のもとでなければ行なわれえないのであって、この事情は要するにつぎのことに帰着する。すなわち、二つの非常に違った種類の商品所持者が対面し接触しなければならないという事情である。その一方に立つのは、貨幣や生産手段や生活手段の所有者であって、彼らにとっては自分がもっている価値類を他人の労働力の買い入れによって増殖することこそが必要なのである。他方に立つのは、自由な労働者、つまり自分の労働力の売り手であり、したがってまた労働の売り手である。自由な労働者というのは、奴隷や農奴などのように彼ら自身が直接に生産手段の一部分であるのでもなければ、自営農民などの場合のように生産手段が彼らのものであるのでもなく、彼らはむしろ生産手段から自由であり離れており免れているという二重の意味で、そうなのである。このような商品市場の両極分化とともに、資本主義的生産の基本的諸条件は与えられているのである。資本関係は、労働者と労働実現条件の所有との分離を前提する。資本主義的生産がひとたび自分の足で立つようになれば、それはこの分離をただ維持するだけではなく、ますます大きくなる規模でそれを再生産する。だから、資本関係を創造する過程は、労働者を自分の労働条件の所有から分離する過程、すなわち、一方では社会の生活手段と生産手段を資本に転化させ他方では直接生産者を賃金労働者に転化させる過程以外のなにものでもありえないのである。つまり、いわゆる本源的蓄積は、生産者と生産手段との歴史的分離過程にほかならないのである。それが「本源的」として現われるのは、それが資本の前史をなしており、また資本に対応する生産様式の前史をなしているからである。
 資本主義社会の経済的構造は封建社会の経済的構造から生まれてきた。後者の解体が前者の諸要素を解き放したのである。直接生産者、労働者は、彼が土地に縛りつけられていて他人の農奴または隷農になっていることをやめてから、はじめて自分の一身を自由に処分することができるようになった。自分の商品の市場が見つかればどこへでもそれをもって行くという労働力の自由な売り手になるためには、彼はさらに同職組合の支配、すなわちその徒弟・職人規則やじゃまになる労働規定からも解放されていなければならなかった。こうして、生産者たちを賃金労働者に転化させる歴史的運動は、一面では農奴的隷属や同職組合強制からの生産者の解放として現われる。そしてわれわれのブルジョア的歴史家たちにとっては、ただこの面だけが存在する。しかし、他面では、この新たに解放された人々は、彼らからすべての生産手段が奪い取られ、古い封建的な諸制度によって与えられていた彼らの生存の保証がことごとく奪い取られてしまってから、はじめて自分自身の売り手になる。そして、このような彼らの収奪の歴史は、血に染まり火と燃える文字で人類の年代記に書き込まれているのである。

産業資本家たち、この新たな主権者たち自身としては、同職組合の手工業親方だけでなく、富の源泉を握っている封建領主をも駆逐しなければならなかった。この面から見れば、かれらの興起は、封建的勢力やその腹立たしい特権にたいする戦勝の成果として、また同職組合やそれが生産の自由な発展と人間による人間の自由な搾取とに加えていた拘束に対する戦勝の成果として、現われる。しかし、産業の騎士たちが剣の騎士たちを駆逐するということは、ただ自分たちのまったくあづかり知らない諸事件を利用することによってのみ成就された。彼らは、かつてローマの被解放民が自分の保護主の主人になりために用いたのと同じ卑劣な手段によって、なり上がったのである。賃金労働者とともに資本家を生み出す発展の出発点は労働者の隷属状態だった。そこからの前進は、この隷属の形態変化に、すなわち封建的搾取の資本主義的搾取への転化に、あった。この転化の歩みを理解するためには、それほど遠くさかのぼる必要はない。資本主義的生産の最初の萌芽は、すでに14世紀および15世紀に地中海沿岸のいくつかの都市で散在的に見られるとはいえ、資本主義時代が始まるのは、やっと16世紀からのことである。資本主義時代が出現するところでは、農奴制の廃止はとっくにすんでおり、中世の頂点をなす独立都市の存立もずっと以前から色あせてきているのである。

本源的蓄積の歴史のなかで歴史的に画期的なものといえば、形成されつつある資本家階級のために槓杆として役だつような変革はすべてそうなのであるが、なかでも画期的なのは、人間の大群が突然暴力的にその生活維持手段から引き離されて無保護なプロレタリアートとして労働市場に投げ出される瞬間である。農村の生産者すなわち農民からの土地収奪は、この全過程の基礎をなしている。この収奪の歴史は国によって違った色合いをもっており、この歴史がいろいろな段階を通る順序も歴史上の時代も国によって違っている。それが典型的な形をとって現われるのはただイギリスだけであって、それだからこそわれわれもイギリスを例にとるのである。

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