a 手工業と分業とにもとづく協業の廃棄
機械は手工業にもとづく協業を廃棄し、また手工業的労働の分業にもとづくマニュファクチュアを廃棄する。単一の作業機が協業やマニュファクチュアに代わって現われるかぎりでは,この作業機そのものがまた手工業的経営の基礎になることができる。しかし、このように機械を基礎として手工業経営が再生産されるということは、ただ工場経営への過渡をなすだけであって、蒸気や水のような機械的動力が人間の筋肉に代わって機械を動かすようになりさえすれば、いつでも工場経営が現われるのが通例である。
b マニュファクチュアと家内労働とへの工場制度の反作用
工場制度の発展につれて、またそれに伴う農業の変革につれて、すべての他の産業部門でも生産規模が拡大されるだけでなく、それらの部門の性格も変わってくる。生産過程をそのいろいろな構成段階に分解し、そこに生ずる諸問題を力学や化学など、要するに自然科学の応用によって解決するという機械経営の原理は、どこでも決定的になってくる。
全体労働者または結合労働人員の構成は根底から変革される。マニュファクチュア時代とは反対に、いまや分業の計画は、婦人労働やあらゆる年齢層の子供の労働や不熟練工の労働、要するにイギリス人がその特徴をとらえて”cheap labour”安い労働と呼んでいる労働の充用をできるかぎり基礎にするようになる。このことは、機械を使用するかしないかを問わずすべての大規模に結合された生産にあてはまるだけでなく、いわゆる家内工業にも、それが労働者の自宅で営まれるか小さな作業場で営まれるかを問わず、あてはまる。…家内工業は今では工場やマニュファクチュアや問屋の外業部に変わっている。資本によって場所的に大量に集中され直接に指揮される工場労働者やマニュファクチュア労働者や手工業者のほかに、資本は、大都市のなかや郊外に散在する家内労働者の別軍をも、目に見えない糸で動かすのである。
安価で未熟な労働力の搾取は、近代的マニュファクチュアでは、本来の工場で行なわれるよりももっと露骨になる。…機械経営によってはじめて体系的に完成される生産手段の節約は、はじめから、同時に冷酷きわまる労働力の乱費なのであり、労働機能の正常な諸前提の強奪なのであるが、それが今では、一つの産業部門のなかで労働の社会的生産力や結合労働過程の技術的基礎の発展が不十分であればあるほど、このような敵対的な殺人的な面をますます多くさらけ出すのである。
c 近代的マニュファクチュア
d 近代的家内労働
e 近代的マニュファクチュアと近代的家内労働との大工業への移行 これらの経営方式への工場法の適用によるこの革命の推進