摘要ノート「資本論」(39)

第13章 機械と大工業

第七節 機械経営の発展に伴う労働者の排出と吸引
綿業恐慌

工場制度の巨大な突発的な拡張可能性と、その世界市場への依存性とは、必然的に、熱病的な生産とそれに続く市場の過充とを生み出し、市場が収縮すれば麻痺状態が現われる。産業の生活は、中位の活況、繁栄、過剰生産、恐慌、停滞という諸時期の一系列に転化される。機械経営が労働者の就業に、したがってまた生活状態に与える不確実と不安定は、このような産業循環の諸時期の移り変わりに伴う正常事となる。繁栄期を除いて、資本家のあいだでは、各自が市場で占める領分をめぐって激烈きわまる闘争が荒れ狂う。この領分の大きさは、生産物の安さに比例する。そのために労働力にとって変わる改良された機械や新たな生産方法の使用における競争が生みだされるはかに、どの循環でも、労賃をむりやりに労働力の価値よりも低く押し下げることによって商品を安くしようとする努力がなされる一時点が必ず現われる。
 このように、工場労働者の増大は、工場に投ぜられる総資本がそれよりもずっと速い割合で増大することを条件とする。しかし、この過程は産業循環の干潮期と満潮期との交替のなかでしか実現されない。しかも、それは、ときには可能的に労働者の代わりをしときには実際に労働者を駆逐する技術的進歩によって、絶えず中断される。機械経営におけるこの質的変化は、絶えず労働者を工場から遠ざけ、あるいは新平の流入に対して工場の門戸を閉ざすのであるが、他方、諸工場の単に量的な拡張は、投げ出された労働者のほかに新しい補充兵をも飲みこむのである。こうして、労働者たちは絶えずはじき出されては引き寄せられ、あちこちに振りまわされ、しかもそのさい召集されるものの性別や年齢や熟練度は絶えず変わるのである。

工場労働者の運命は、イギリスの木綿工業の運命をすばやく概観することによって、最も明らかにされる。

イギリス産業史の概観と木綿恐慌

このように、イギリスの木綿工業の第一期の45年間、1770-1815 年には、恐慌と停滞は5年しかないが、しかしこれはイギリスの木綿工業の世界独占の時期だった。第二期の48年間、1815-1863 年には、不況と停滞の28年にたいして回復と好況は20年しかない。1815-1830 年には大陸ヨーロッパおよび合衆国との競争が始まる。1833 年からはアジア諸市場の拡張が「人類の破壊」によって強行される。穀物法が廃止されてから、1846 から1863 年には、中位の活況と好況との8年にたいして9年の不況と停滞がある。

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