摘要ノート「資本論」(37)

第13章 機械と大工業

第四節 工 場

ドクター・ユーア、この自動的工場のピンダロスは、この工場を一方では 「絶えまなく一つの中心力(原動力)によって活動させられる一つの生産的機械体系を熟練と勤勉とをもって見張る成年および未成年の各種のる同社の協業」 として描き、他方では 「同じ一つの対象を生産するために協調して絶え間なく働いており、したがってすべてが一つの自動的に運動する動力に従属している無数の機械的で自己意識的な器官とから構成されている一つの巨大な自動装置」 として描いている。
*ピンダロス…古代ギリシャの孤高の詩人

この二つの表現はけっして同じではない。一方の表現では、結合された総労働者または社会的労働体が支配的な主体として現われ、機械的自動装置が客体として現われる。他方の表現では、自動装置そのものが主体であり、労働者はただ意識のある器官として自動装置の意識のない器官と並列させられ、この器官といっしょに中心的動力に従属させられているだけである。第一の表現は、大規模の機械の充用が可能なかぎりそのどれにでもあてはまるものであり、第二の表現は、機械の資本主義的充用を、したがってまた現代の工場制度を特徴づけている。

作業道具といっしょに、それを取り扱う手練も労働者から機械に移る。道具の仕事能力は人間労働力の個人的な限界から解放される。こうして、マニュファクチュアのなかでの分業がもとづいている技術的基礎が廃棄される。したがって、マニュファクチュアを特徴づけている専門化された労働者の等級制に代わって自動的な工場では機械の助手たちがしなければならない労働の均等化または水平化の傾向が現われるのであり、部分労働者たちの人工的につくりだされた区別に代わって、年齢や性の自然的な区別のほうが主要なものになるのである。

before 目次 next