摘要ノート「資本論」(4)
資本論第一章 商品
(第三節 価値形態または交換価値)
B 全体的な、または展開された価値形態
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20エレのリンネル=一着の上着 または=10ポンドの茶 または=40ポンドのコーヒー または=1クォターの小麦 または=2オンスの金
または=1/2トンの鉄 または=その他
= 一着の上着
= 10ポンドの茶
= 40ポンドのコーヒー
= 1クォターターの小麦
= 2オンスの金
= 1/2トンの鉄
= X量の商品A
= 等々の商品
これは、ある商品(リンネル)が、商品世界のすべての商品を自分の等価形態(価値のものさし)にする、ということである。
一 展開された相対的価値形態
ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネルの価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現れる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表されているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけでなく、商品世界にたいして社会的な関係にたつのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現れる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されている。
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第一の形態、20エレのリンネル=一着の上着では、これら二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実である。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現れてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄などの無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表されようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだということが明らかになる。
二 特殊的等価形態
上着や茶や小麦や鉄などの商品はどれもリンネルの価値表現では等価物として、したがってまた価値体として、認められている。これらの商品のそれぞれの特定の現物形態は、いまでは他の多くのものと並んで一つの特殊的等価形態である。
三 全体的な、または展開された価値形態の欠陥
第一に、商品の相対的価値表現は未完成である。というのは、その表示の列は完結することがないからである。
第二に、この連鎖はばらばらな雑多な価値表現の多彩な寄木細工をなしている。
最後に、それぞれの相対的価値が、当然そうならざるをえないとしても、この展開された形態で表現されるならば、どの商品の相対的価値形態も他のどの商品の相対的価値形態とも違った無限の価値表現列である。
展開された相対的価値形態の欠陥は、それに対応する等価形態に反映する。
ここでは各個の商品種類の現物形態が、無数の他の特殊的等価形態と並んで一つの特殊的等価形態なのだから、およそただそれぞれが互いに排除しあう制限された等価形態があるだけである。同様に、それぞれの特殊的商品等価物に含まれている特定の具体的な有用な労働種類も、ただ、人間労働の特殊的な、したがって尽きるところのない現象形態でしかない。人間労働は、その完全な、または全体的な現象形態を、たしかにあの特殊的諸現象形態のうちにもってはいる。しかし、そこでは人間労働は統一的な現象形態をもってはいない。
C 一般的価値形態
一着の上着
10ポンドの茶
40ポンドのコーヒー
1クォターターの小麦
2オンスの金
1/2トンの鉄
X量の商品A
等々の商品
=
=
=
= 20エレのリンネル
=
=
=
=
ここでは、すべての商品が、共通の一つの等価形態をもち同じものさし(リンネル)で計られることになる。
一 価値形態の変化した性格
いろいろな商品はそれぞれの価値をここでは (1)単純に表わしている。というのは、ただ一つの商品で表わしているからであり、そして (2)統一的に表わしている。というのは、同じ商品で表わしているからである。諸商品の価値形態は単純で共通であり、したがって一般的である。
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(A)の形態が実際にはっきりと現われるのは、ただ、労働生産物が偶然的な時折の交換によって商品にされるような最初の時期だけである。
(B)の形態は(A)の形態よりももっと完全に一商品の価値をその商品自身の使用価値から区別している。…他方、ここでは諸商品の共通な価値表現はすべて直接に排除されている。なぜならば、ここではそれぞれの商品の価値表現のなかでは他のすべての商品はただ等価物の形態で現われるだけだからである。展開された価値形態がはじめて実際に現われるのは、ある労働生産物、たとえば家畜がもはや例外的でなくすでに慣習的にいろいろな他の商品と交換されるようになったときのことである。
(C)の形態がはじめて現実に諸商品を互いに価値として関係させるのであり、言いかえれば諸商品を互いに交換価値として現われさせるのである。
前のほうの二つの形態(A,B)は、商品の価値を、ただ一つの異種の商品によってであれ、その商品とは別の一連の多数の商品によってであれ、一商品ごとに表現する。どちらの場合にも、自分に一つの価値形態を与えることは、いわば個別商品の私事であって、個別商品は他の諸商品の助力なしにこれをなしとげるのである。他の諸商品は、その商品にたいして、等価物という単に受動的な役割を演ずる。
これに反して、一般的価値形態は、ただ商品世界の共同の仕事としてのみ成立する。一つの商品が一般的価値形態を得るのは、同時に他のすべての商品が自分たちの価値を同じ等価物で表現するからにほかならない。そして、新たに現れるどの商品種類もこれにならわなければならない。こうして、諸商品の価値対象性は、それがこれらの物の純粋に「社会的な定在」であるからこそ、ただ諸商品の全面的な社会関係によってのみ表現されうるのであり、したがって諸商品の価値形態は社会的に認められた形態でなければならないということが、明瞭に現れてくるのである。
リンネルに等しいものという形態ではいまやすべての商品が質的に同等なもの、すなわち価値一般として現れるだけでなく、同時に、量的に比較されうる価値量として現れる。
商品世界の一般的な相対的価値形態は、商品世界から除外された等価物商品、リンネルに、一般的等価物という性格を押しつける。リンネル自身の現物形態が、この世界の共通な価値姿態なのであり、それだから、リンネルは他のすべての商品と直接に交換されうるのである。
諸労働生産物を無差別な人間労働の単なる凝固として表わす一般的価値形態は、それ自身の構造によって、それが商品世界の社会的表現であることを示している。こうして、一般的価値形態は、この世界のなかでは労働の一般的な人間的性格が労働の独自な社会的性格となっているということを明らかに示しているのである。
二 相対的価値形態と等価形態との発展関係
相対的価値形態の発展の程度には等価形態の発展の程度が対応する。しかし、これは注意を要することであるが、等価形態の発展はただ相対的価値形態の発展の表現と結果でしかないのである。
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しかし、価値形態が発展するのと同じ程度で、その二つの極の対立、相対的価値形態と、等価形態との対立も発展する。
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(一般的価値形態においては) ただ一つの例外だけを除いて、商品世界に属する全商品が一般的等価形態から排除されているからであり、またそのかぎりでのことである。反対に、一般的等価物の役を演ずる商品は、商品世界の統一的な、したがってまた一般的な相対的価値形態からは排除されている。
三 一般的価値形態から貨幣形態への移行
一般的等価形態は価値一般の一つの形態である。だから、それはどの商品に付着してもよいものである。他方、ある商品が一般的等価形態にあるのは、ただ、それが他のすべての商品によって等価物として排除されるからであり、また排除されるかぎりでのことである。そして、この排除が最終的に一つの独自な商品種類に限定された瞬間から、はじめて商品世界の統一的な相対的価値形態は客観的な固定性と一般的な社会的妥当性とを得ているのである。
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そこで、その現物形態に等価形態が社会的に合成する特殊な商品種類は、貨幣商品になる。言いかえれば、貨幣として機能する。
D 貨幣形態
20エレのリンネル
一着の上着
10ポンドの茶
40ポンドのコーヒー
1クォターターの小麦
1/2トンの鉄
X量の商品A
=
=
=
= 2オンスの金
=
=
=
形態 Dは、リンネルに変わって金が一般的等価形態をもっているということのほかには、形態 Cと違うところはなにもない。…前進は、ただ、直接的な一般的交換可能性の形態または一般的等価形態がいまでは社会的慣習によって最終的に商品金の独自な現物形態と合成しているというだけである。
そして、金がすでに貨幣商品になってしまった瞬間から、はじめて形態 Dは形態 Cと区別されるのであり、言いかえれば一般的価値形態は貨幣形態に転化しているのである。
貨幣形態の概念における困難は、一般的等価形態の、したがって、一般的価値形態一般の、形態 Cの、理解に限られる。形態 Cは、形態 Bに、展開された価値形態に、解消し、そして、形態 Bの構成要素は、形態 A、すなわち20エレのリンネル=一着の上着 または、X量の商A=Y量の商品Bである。それゆえ、単純な商品形態は貨幣形態の萌芽なのである。