摘要ノート「資本論Ⅲ」(7)

資本論 第3巻

第二篇 利潤の平均利潤への転化

第八章 生産部門の相違による資本構成の相違とそれにもとづく利潤率の相違

本章[篇]では、与えられた一国で社会的労働が分かれているすべての生産部面で労働の搾取度は同じであり、したがってまた剰余価値率の高さも労働日の長さも同じであると前提する。
労賃や労働日の平均化が、したがってまた剰余価値率の平均化が、いろいろな生産部面のあいだで、またじつに同じ生産部面のなかのいろいろな投資のあいだでさえも、さまざまな地域的な障害によって妨げられるとしても、それでもなおこの平均化は、資本主義的生産が進歩してゆきすべての経済関係がこの生産様式に従属してゆくにつれてますます実現されてゆくのである。このような摩擦の研究は、労賃に関するそれぞれの特殊研究にとっては重要だとはいえ、このような摩擦は資本主義的生産の一般的な研究にとっては偶然的な非本質的なものとして無視してよいのである。このような一般的な研究では、一般にいつでも、現実の諸関係はそれらの概念に一致するということが前提されるのであり、または、同じことであるが、現実の諸関係は、ただそれら自身の一般的な型を表わしているかぎりでのみ、述べられるのである。
 国の相違による剰余価値率の相違、したがってまた国民的な労働搾取度の相違は、当面の研究にとっては全然問題にならない。じっさい。われわれがこの篇で述べようとするのは、まさに、どのようにして一国のなかで一般的な利潤率が形成されるのか、ということなのである。

労働の搾取度が不変ならば、不変資本の諸成分の価値変動につれて、また資本の回転期間の変動につれて、利潤率は変わるのであるが、このことからはおのずから次のことが出てくる。すなわち、同時に相並んで存在するいろいろな生産部面の利潤率は、他の事情は変わらないで充用資本の回転期間が違う場合には、また別々の生産部面にあるこれらの資本の有機的諸成分のあいだの価値比率が違う場合には、違っているだろうということである。前には同じ資本に時間的に相次いで起きた変化として考察したことを、今度は、別々の生産部面に相並んで存在する別々の投資のあいだの同時に存在する相違として考察するのである。
 その際われわれが研究しなければならないのは、(1)諸資本の有機的構成の相違と(2)諸資本の回転期間の相違 とであろう。この研究をつうじての前提は、言うまでもなく次のことである。すなわち、われわれがある一定の生産部門にある資本の構成とか回転とかいう場合には、いつでも、その生産部門に投下されている資本の平均的な標準関係のことを言っているのであり、およそわれわれが問題にするのは、一定の部面に投下されている総資本の平均であって、この部面に投下されている個別資本の偶然的な相違ではないということである。さらに、剰余価値率も労働日も不変と前提されているのだから、そしてこの前提には労賃の不変も含まれているのだから、一定量の可変資本は一定量の動かされる労働力を表わしており、したがって一定量の対象化される労働を表わしているのである。

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