摘要ノート「資本論Ⅲ」(5)

資本論 第3巻

第一篇 剰余価値の利潤への転化と
剰余価値率の利潤率への転化

第五章  不変資本充用上の節約

第一節 概説

産業の前進的発展から生ずるこの種の不変資本節約に特徴的なことは、この場合にはあるひとつの産業部門での利潤率の上昇が他の産業部門での労働の生産力の発展のおかげだということである。この場合に資本家のものになる利益は、彼自身が直接に搾取する労働者の生産物ではないとはいえ、やはり、社会的労働の産物である利益である。そのような生産力の発展の究極の原因になるものは、つねに、動かされる労働の社会的性格であり社会のなかでの分業であり、精神的労働ことに自然科学の発達である。ここで資本家が利用するものは、社会的分業の全体制の利益である。ここで、資本家が充用する不変資本の価値を相対的に低くし、したがって利潤率を高くするものは、外部の労働部門すなわちこの資本家に生産手段を供給する労働部門での労働の生産力の発展なのである。
もう一つの利潤率の上昇は、不変資本を生産する労働の節約からでなく、不変資本の充用そのものの節約から生ずる。労働者の集中と彼らの大規模な協業とによって、一方では不変資本が節約される。同じ建物や同じ採暖・照明設備などでも、その費用は大規模生産の場合には小規模生産の場合よりも比較的少なくてすむ。同じことは動力機や作業機についても言える。それらの価値は、絶対的には増大しても、生産の拡大の進展に比べれば、また可変資本の大きさまたは動かされる労働力の量に比べれば、相対的には減少するのである。一つの資本がそれ自身の生産部門で行なう節約は、さしあたり直接には、労働の節約、すなわちそれ自身の労働者の支払労働の縮減である。これに反して、前に述べた節約は、このような他人の不払労働のできる限りの取得はできるかぎりの取得を、できるだけ経済的な仕方で、すなわち与えられた生産規模の上でできるだけわずかな費用で、実行することである。この節約が、すでに述べたような、不変資本の生産に充用される社会的労働の生産性の搾取のもとづくものではなく、不変資本そのものの充用の節約であるかぎりでは、それは、直接に一定の生産部門そのもののなかでの労働の協業や社会的形態から生ずるか、または、機械などがその使用価値の増大と同じ程度ではその価値が増大しないような規模で生産されることから生ずるのである。

生産手段が相対的に安くなるということは、もちろん、その絶対的価値総額が増大することを排除するものではない。なぜならば、生産手段が充用される規模の絶対的な大きさは、労働の生産力の発展とそれに伴う生産規模の拡大とにつれて異常に増大するからである。不変資本充用上の節約は、どの面から見ても、一部はただ生産手段が結合労働者の共同的生産手段として機能し消費されることだけの結果であり、したがってこの節約そのものも直接的生産的労働の社会的性格の産物として現われるのである。

資本は、生きている労働の直接的充用にさいしてはそれを必要な労働に還元しようとし、また、一つの生産物の生産に必要な労働を労働の社会的生産の搾取によって絶えず短縮しょうとし、こうして直接に充用される生きている労働をできるだけ節約しようとする傾向をもつのであるが、同時にまた、このような、その必要な限度まで切りつめられた労働を、できるだけ経済的な諸条件の下で充用しようとする傾向、つまり充用される不変資本の価値をできるかぎり最小限に切りつめようとする傾向を持っている。商品の価値は、その商品に含まれている必要な労働時間によって規定されているのであって、およそその商品に含まれているかぎりの労働時間によって規定されているのではないとすれば、資本こそは、この規定をはじめて実現すると同時に一つの商品の生産に社会的に必要な労働時間をますます短縮してゆくのである。これによって商品の価格はその最低限度まで引き下げられる。なぜならば、商品の生産に必要な労働のすべての部分が最小限度まで切りつめられるからである。

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