資本主義的生産様式の発展につれて充用される固定資本の価値量と寿命とが増大するのと同じ割合で、産業の生命も各個の投資における産業資本の生命も、多年にわたるものに、たとえば10年というようなものに、なるのである。一方で固定資本の発達がこの生命を延長するとすれば、他方では、同様に資本主義的生産様式の発展につれて絶えず進展する生産手段の不断の変革によって、この生命が短縮されるのである。したがってまた、資本主義的生産様式の発展につれて、生産手段の変化も、それが肉体的に生命を終わるよりずっと前から無形の摩減のために絶えず補填される必要も、増大する。大工業の最も決定的な諸部門については、この生命循環は今日では平均して10年の周期をもつものと推定してよい。とはいえ、ここでは特定の年数が問題なのではない。ただ次のことだけは明らかである。このような、連続的な、いくつもの回転を含んでいて多年にわたる循環に、資本はその固定的成分によって縛りつけられているのであるが、このような循環によって、周期的な恐慌の一つの物質的な基礎が生ずるのであって、この循環のなかで事業は不振、中位の活況、過度の繁忙、恐慌という継起する諸時期を通るのである。資本の投下される時期は非常にさまざまである。とはいえ、恐慌はいつでも大きな新投資の出発点をなしている。したがってまた-社会全体として見れば-多かれ少なかれ次の回転循環のための一つの新たな物質的基礎をなすのである。