労働手段は大部分は産業の進歩によって絶えず変革される。したがって、それは、元の形でではなく変革された形で補填される。一方では、大量の固定資本が一定の現物形態で投下されていてその形態のままで一定の平均寿命だけ持ちこたえなければならないということが、新しい機械などが徐々にしか採用されないことの原因になっており、したがってまた、改良された労働手段の急速な一般的な採用を妨げる障害にもなっている。他方では、競争戦が、ことに決定的な変革にさいしては、古い労働手段が自然死の時期に達する前にそれを新しいものと取り替えることを強要する。このように事業設備をかなり大きな社会的規模で早期に更新することを強要するものは、主に災害や恐慌である。摩減は(無形の摩減を別とすれば)、固定資本が、その消耗によって、その使用価値を失って行く平均程度に比例してだんだん生産物に引き渡していく価値部分である。
部分的な更新が行なわれながらだんだん事業が拡張されたいく場合、…固定資本は生産過程で引き続き現物として働いていても、その価値の一部分は、平均摩減度に応じて、生産物といっしょに流通し、貨幣に転化していて、それが現物で再生産されるまでの期間は資本補填のための準備金の要素をなしている。固定資本価値のうちのこのように貨幣に添加した部分は、事業を拡張したり機械に改良を加えてその効果を高めたりするために役だつことができる。こうして、長短の期間で再生産が行なわれ、しかも -社会の立場から見れば-拡大された規模での再生産が行なわれる。それは、生産場面が拡大される場合には外延的であり、生産手段の効果が高められる場合には内包的である。この拡大された規模での再生産は、蓄積 -剰余価値の資本への転化-から生ずるのではなく、固定資本の本体からわかれて貨幣形態で離れた価値が、同種の新たな、追加的かまたは少なくともいっそう効果的な固定資本に再転化することから生ずるのである。
摩減の補填とも維持や修理の労働ともまったく違うものは、異常な自然現象や火災や洪水などによる破壊に関する保険である。これは剰余価値から補填されなければならないもので、剰余価値からの控除をなすものである。あるいはまた、社会全体の立場から見れば、偶然や自然力によってひき起こされる異常な破壊を補填するための生産手段を用意しておくためには、恒常的な過剰生産、すなわち現存の富の単なる補填と再生産とに必要であるよりも大きな規模での生産が -人口の増加はまったく無視しても-行なわれなければならない。実際には、補填のために必要な資本のごくわずかな部分が準備金になっているだけである。最も重要な部分は生産規模そのものの拡大にあるのであって、この拡大は、一部は現実の拡張であり、一部は固定資本生産部門の正常な範囲に属するものである。たとえば、機械製造工場は、その顧客の工場が年々拡張されるということ、またいつでもそれらの工場の一部分が全体的かまたは部分的な再生産を必要とするということに備えているのである。
固定資本の摩減補填分として還流する貨幣のかなり大きな部分が、毎年、またはもっと短い期間にさえ、固定資本の現物形態に再転化されるのであるが、それでもなお各個の資本家にとっては、固定資本のうち数年後にはじめて一度にその再生産期に達してそのときすっかり取り替えれなければ成らない部分のために、償却基金が必要である。固定資本のかなり大きな構成部分は、その性質上、一部分ずつの再生産を排除する。そのほかにも、減価した現品に新品が比較的短い間隔でつけ加えられるというしかたで再生産が一部分ずつ行なわれる場合には、このような補填が行なわれうる前に、生産部門の独自な性質に応じてあらかじめ大なり小なりの規模の貨幣蓄積が必要である。そのためにはどんな任意の貨幣額でも足りるのではなく、ある一定の大きさの貨幣額が必要なのである。われわれがこれらのことを、ただ単純な貨幣流通だけを前提して、もっとあとで展開される信用制度を少しも顧慮することなしに、考察するならば、運動の機構は次のようなものである。第一部(第三章第三節a)で明らかにしたように、ある社会に現存する貨幣に一部分はいつでも蓄蔵貨幣として遊休しており、他の部分は流通手段として、または直接に流通している貨幣の直接的準備金として機能しているとすれば、貨幣の総量が蓄蔵貨幣と流通手段とに分かれる割合は絶えず変動する。われわれの場合には、ある大きな資本家の手のなかに蓄蔵貨幣として大量にたまっているはずの貨幣が、いま固定資本の購入にさいして一度に流通に投げ込まれる。それはそれ自身または社会のなかで再び流通手段と蓄蔵貨幣とに分けられる。固定資本の摩減の程度に応じてその価値は償却基金という形で出発点に還流するのであるが、この償却基金によって、流通貨幣の一部分は、前に固定資本を購入したときに自分の蓄蔵貨幣を流通手段に転化させて手放したその同じ資本家の手のなかで、再び-長短の期間-蓄蔵貨幣を形成する。それは社会に存在する蓄蔵貨幣の絶えず変動する分割であって、この蓄蔵貨幣は交互に流通手段として機能してはまた再び蓄蔵貨幣として流通貨幣から分離されるのである。大工業と資本主義的生産との発展に必然的に並行する信用制度の発展につれて、この貨幣は蓄蔵貨幣としてではなく資本として機能するのであるが、しかしその所有者の手のなかでではなく、その利用をまかされた別の資本家たちの手のなかで機能するのである。