資本主義的生産はおよそ外国貿易なしには存在しない。しかし、ある一定の規模での正常な年間再生産が想定されるならば、それと同時に次のことも想定されていることになる。すなわち、外国貿易はただ国内生産物を使用形態や現物形態の違う物品と取り替えるだけで、価値の割合には影響を及ぼさないということ、したがってまた生産手段と消費手段という二つの部類が互いに取り替えられる価値の割合にも、またこれらの部類のそれぞれの生産物の価値が分解できる不変資本と可変資本と剰余価値との割合にも、影響を及ぼさないということがそれである。だから、一年間に再生産される生産物価値を分析するときに外国貿易を引き入れることは、ただ混乱を招くおそれがあるだけで、問題やその解決のなんらかの新たな契機を提供するものではないのである。だから、外国貿易はまったく捨象されなければならない。
アダム・スミスでは、社会的総生産物価値が収入 v+m に分解し、したがって、不変資本価値はゼロとみなされる。そこで、必然的に、年間収入の流通のために必要な貨幣は、年間総生産物の流通のためにも十分だということになり、したがって、われわれの場合には、3000 という価値のある消費手段の流通のために必要な貨幣が、9000 という価値のある年間総生産物の流通のためにも十分だということになる。これが実際にA・スミスの見解なのである。収入の換金のために必要な貨幣量と社会的総生産物を流通させる貨幣量との関係についてのこのまちがった見解は、年間総生産物のいろいろな素材的要素と価値要素とが再生産され年々補填される仕方が理解されないで無思想に考えられたことの必然的な結果である。
自然発生的な形態で示された貨幣流通-そしてこれがここでは年間再生産過程の内在的な契機である-の最も単純な考察によっても、次のことがわかる。
(a) 発達した資本主義的生産、したがって賃労働制度の支配を前提すれば、明らかに、貨幣資本は、それが可変資本の前貸しされる形態であるかぎり、一つの主要な役割を演ずる。賃労働制度が発達するにつれて、すべての生産物は商品に転化し、したがってまた-いくつかの重要な例外はあるにしても-すべての生産物がその運動の一段階として貨幣への転化を通らなければならない。流通貨幣量は、諸商品のこのような換金のために十分でなければならない。そして、この流通貨幣量の最大の部分は労賃の形で供給される。すなわち、可変資本の貨幣形態として産業資本家によって労働力への支払に前貸しされ労働者の手では-その大部分が-ただ流通手段(購買手段)としてのみ機能する貨幣の形態で、供給される。このようなことは、どの隷農制度(農奴制を含めて)の基礎の上でも優勢な、そして隷農制諸関係または奴隷制諸関係が混じっていてもいなくても多かれ少なかれ原始的な共同体の基礎の上ではいっそう優勢な、現物経済にたいしては、まったく対立的なものである。
奴隷制度では、労働力の買い入れに投ぜられる貨幣資本は固定資本の貨幣形態の役割を演ずるのであって、この固定資本は奴隷の活動的生存期間の経過につれてただ少しずつ補填されて行くだけなのである。それだから、アテネ人のあいだでは、奴隷所有者が自分の奴隷の産業的使用によって直接に引き出すか、または他の産業的使用者への奴隷の賃貸によって間接に引き出す利得は、ただ前貸貨幣資本の利子(及び償却)としかみなされないのであって、それは、ちょうど、資本主義的生産では産業資本家が剰余価値の一部分・プラス・固定資本の摩減分を自分の固定資本の利子および補填分として計算するのと同じであり、これはまた、固定資本(家屋や機械など)を賃貸しする資本家の場合にも通例のことである。単なる家庭奴隷は、必要な労務を果たすものであろうと、ただ奢侈的虚飾に役だつだけのものであろうと、ここでは問題にならない。彼らは今日の家事使用人階級に相当するものである。しかし、奴隷制度もまた-発達したギリシャ諸国家やローマでのようにそれが農業や製造工業や航運業などで生産的労働の支配的形態であるかぎりでは-現物経済の要素を保存している。奴隷市場そのものもその労働力商品の供給をつねに戦争や海上略奪などによって受けており、この略奪もまた流通過程に媒介されるものではなく直接的肉体的強制による他人の労働力の現物取得である。アメリカ合衆国においてさえ、北部の賃労働諸州と南部の奴隷諸州とのあいだの中間地帯が南部のための奴隷飼育地帯に転化したあとでも、したがって南部では奴隷市場に投ぜられる奴隷そのものが年間再生産の一要素となってからも、長いあいだにはそれだけでは足りなくて、さらにできるだけ長いあいだアフリカとの奴隷貿易が市場を充たすために営まれていたのである。