摘要ノート「資本論Ⅱ」(40)

第三編 社会的総資本の再生産と流通

第二十章 単純再生産

第十一節 固定資本の補填

商品の販売によって得られた貨幣は、それが固定資本の摩減分に等しい商品価値部分を貨幣化するかぎりでは、この貨幣によって価値喪失を補填される生産資本部分には再転化させられない。それは生産資本とは別に沈殿し、貨幣形態のままになっている。この貨幣沈殿は不変資本の固定要素が元からの現物形態のままで生産過程で機能し続ける多かれ少なかれ何年かの再生産期間が終わるまで、繰り返される。…次に、この貨幣は、固定資本(またはその諸要素、というのは、そのいろいろな要素はそれぞれ寿命が違っているからである)を現物で補填するために、したがって生産資本のこの成分を現実に更新するために、役だつ。つまり、この貨幣は、不変資本価値の一部分の、その固定部分の、貨幣形態なのである。だから、この貨幣蓄蔵は、それ自身、資本主義的再生産過程のひとつの要素なのである。すなわち、固定資本の寿命が終わり、したがってそれが全価値を生産された商品に引き渡してしまって、新たに現物で補填されなければならなくなるときまでの、固定資本またはその個々の要素の価値の再生産であり、積み立て-貨幣形態での-である。しかし、この貨幣は固定資本の死んだ諸要素を補填するためにその新たな諸要素に再転化させられるときに、はじめてその蓄蔵貨幣形態を失うのであり、したがって、そのときはじめて再び能動的に、流通によって媒介される資本の再生産過程にはいって行くのである。

商品量Ⅱのなかの、不変資本価値を表わしておりしたがって不変資本の現物形態なり貨幣形態なりに再転換できる全部分は、2000c のなかに存在する。だから、商品Ⅱの不変価値の転換に関するすべてのことは、2000Ⅱc の運動に限られている。そして、この転換は、Ⅰ(1000v+1000m)とのあいだでしか行なわれえないのである。また部門Ⅰについても、この部門に属する不変資本価ちのてんかんにかんするすべてのことは、4000Ⅰc の考察に限られなければならない。

1 摩減価値部分の貨幣形態での補填

Ⅰ(1000v+1000m) 対 2000Ⅱc の転換のなかでまず第一に注意しなければならないのは、価値額Ⅰ(v+m)には不変価値要素は含まれていないということ、したがってまた、補填されなければならない摩減分に相当する価値要素、すなわち不変資本の固定成分から v+m の現物形態である諸商品に移された価値に相当する価値要素は、含まれていないということである。これに反して、Ⅱc のなかにはこの要素が存在するのであって、固定資本にもとづくこの価値要素の一部分こそは、すぐに貨幣形態から現物形態に転化しないでさしあたりは貨幣形態のままでいてよいものである。そこで、Ⅰ(1000v+1000m)対 2000Ⅱc の転換では、たちまち次のような困難が起きる。すなわち 2000(v+m)の現物形態である生産手段Ⅰは、その価値の全額 2000 が、消費手段Ⅱでの等価と取り替えられなければならないのに、他方、消費手段 2000Ⅱc のほうは、その価値の全額まで生産手段Ⅰ(1000v+1000m)に転換されることはできないという困難である。なぜならば、その価値の一可除部分-固定資本のうち補填を必要とする摩減分または価値喪失分に等しい部分-は、さしあたりは貨幣のままで沈殿しなければならないが、その貨幣は、ここで単独に考察されるこの一年の再生産期間のあいだは再び流通手段として機能しないからである。とはいえ、商品価値 2000Ⅱc に含まれている摩減分を貨幣化するための貨幣は、Ⅰから出てくるよりほかはない。なぜならば、Ⅱは自分で自分に支払うはずはなく、自分の商品を売ることによってこそ支払を受けるのだからであり、また、前提によればⅠ(v+m)は全商品額 2000Ⅱcを買うのだからである。

2 固定資本の現物での補填

ここでは明らかに次のことが前提条件である。すなわち、不変資本Ⅱのうち、一方の、その価値から見て全部が貨幣に再転化し、したがって毎年現物で更新されなければならない固定成分(部分1)は、不変資本Ⅱのうち、他方の、まだもとの現物形態のままで機能を続けていてその摩減分-それによって生産される商品にそれが移して行く価値喪失分-がさしあたりは貨幣で補填されればよい固定成分の毎年の摩減分に等しいということである。したがってこのような均衡は不変な規模での再生産の法則として現われるであろう。言い換えれば、生産手段を生産する部門Ⅰでは、それが一方では部門Ⅱの不変資本の流動成分を供給し他方ではその固定成分を供給するかぎり、均衡のとれた分業が不変に保たれなければならないということである。

Ⅱc(1) がⅡc(2) よりも大きいか小さい場合は再生産の不均衡が現われる。

3 結論

もし再生産の資本主義的形態が廃止されてしまうならば、事柄は次のことに帰着する。すなわち、固定資本(ここでは消費手段の生産で機能しているそれ)のうちのすでに死にかかっていて現物で補填されなければ成らない部分の大きさは、来る年ごとに変わってくるということである。もしこの部分がある年非常に大きいならば、次の年にはおそらくそれだけ小さくなるであろう。それだからといって、消費手段の年間生産のために必要な原料や半製品や補助材料の量は減りはしない。だから、生産手段の総生産は、一方の場合には増加し、他方の場合には減少することにならざるをえないであろう。このことから救われるためには、継続的な相対的過剰生産によるよりほかはない。すなわち、一方では固定資本が直接に必要であるよりもいくらかより多く生産されることによって、他方では、そしてことに、年間の直接必要量を超過する原料などの在庫によって(特に生活手段についてはそういえる)。この種の過剰生産は、社会がそれ自身の再生産の対象的手段を調整するのと同じことである。ところが、資本主義社会のなかではそれはひとつの無政府的な要素なのである。
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