いま商品形態で存在する追加剰余価値を実現するための追加貨幣は、いったいどこから来るのか?一般的な答えはやはり同じである。流通する商品量の価格総額はふえているが、それは、与えられた商品量の価格が上がったからではなく、いま流通してる商品の量が以前に流通していた商品の量よりも大きくなっており、しかもそれが価格の低落によって相殺されないからである。このより大きな価値のあるより大きな商品量の流通のために必要な追加貨幣は、流通貨幣のいっそうの節約-諸支払の相殺とか同じ貨幣片の流通を速くする手段とかによる節約-によってか、または蓄蔵形態から流通形態への貨幣の転化によって、得られなければならない。このあとのほうのことに含まれているのは、ただ遊休貨幣資本が購買・支払手段として機能を始めるということだけではない。あるいはまた、すでに準備金として機能している貨幣資本がその所有者のためには準備金の機能を果たしながら社会のためには現実に流通しており(銀行預金が絶えず貸し出されるように)、したがって二重の機能を果たしているということだけでもない。-それだけではなく、停滞している鋳貨準備が節約されるということも含まれているのである。これらの手段のすべてを尽くしてもまだ足りなければ、金の追加生産が行なわれなければならない。あるいは、同じことになるが、追加生産物の一部分が金-貴金属生産国の生産物-と直接または間接に交換される。
流通用具としての金銀の年間生産に支出される労働力と社会的生産手段との総額は、資本主義的生産様式の、一般に商品生産を基礎とする生産様式の、空費の重い項目になっている。それは、それに相当する額の可能的な追加生産手段と追加消費手段を、すなわちそれに相当する額の現実の富を、社会的利用から取り上げる。与えられた生産規模が変わらない場合には、またはその拡張の程度が与えられたいる場合に、この高価な流通機構の費用が軽減されるならば、そのかぎりでは、これによって社会的労働の生産力が高くされる。したがって、信用制度とともに発達する便宜手段がこのような効果をもつかぎりでは、それは直接に資本主義的な富を増加させる。すなわち、それによって社会的生産・労働過程の大きな一部分が現実の貨幣のいっさいの介入なしに行われるとか、現実に機能している貨幣量の機能能力が高められるとかいうことになるのである。これで次のようなばかげた問いにもかたがつく。今日の規模での資本主義的生産は信用制度なしに、すなわちただ金属流通だけで可能であろうか、という問いである。それは明らかに不可能である。それどころか、信用制度がなければ、資本主義的生産は貴金属生産の大きさにその限界を見いだしたであろう。他方、貨幣資本を提供したり流動させたりするかぎりでの信用制度の生産的な力について神秘的な観念をいだいてはならない。