資本主義的生産様式-その基礎は賃労働であり、したがってまた貨幣での労働者への支払であり、一般に現物支払から貨幣支払への転化である-は、流通とそのために必要になる貨幣蓄蔵(準備金など)とのために十分な貨幣量が国内にある場合にはじめてより大きな範囲と深い完成とで発展することができる。これは歴史的前提である。といっても、このことは、まず十分な蓄蔵貨幣量が完成されて、それから資本主義的生産が始まるというように理解されてはならない。そうではなく、資本主義的生産はその諸条件の発展と同時に発展するのであって、この諸条件の一つが貴金属の十分な供給なのである。それだから、16世紀以来の貴金属供給の増加が資本主義的生産発展史の上で一つの本質的な契機になるのである。しかし資本主義的生産様式の基礎の上での貨幣材料のより多くの供給の必要が問題にされるかぎりでは、一方では生産物での剰余価値がその貨幣化のために必要な貨幣なしに流通に投ぜられ、他方では金での剰余価値が、前もって生産物が貨幣に転化することなしに、流通に投ぜられのである。貨幣に転化しなければならない追加商品が必要な貨幣量を見いだすのは、他方で、商品に転化しなければならない追加の金が、交換によってではなく生産そのものによって流通に投ぜられるからである。