摘要ノート「資本論Ⅱ」(24)

第二篇 資本の回転

第十六章 可変資本の回転

第三節 社会的に見た可変資本の回転

労働者は、Bの場合にもAの場合にも、自分の買う生活手段の代価を、彼の手のなかで流通手段に転化した可変資本で支払う。たとえば、彼は小麦を市場から引きあげるだけではなく、それを貨幣での等価によって補填する。しかし、Bの労働者が自分の生活手段の代価を支払ってそれを市場から引きあげるために用いる貨幣は、Aの労働者の場合と違って、その一年間に彼が市場に投じた価値生産物の貨幣形態ではないから、彼は、彼の生活手段の売り手に貨幣を供給するには違いないが、この売り手がその代価として得た貨幣で買うことのできるような商品-生産手段であれ生活手段であれ-を供給しはしない。ところが、Aの場合にはそれを供給するのである。したがって、市場からは、労働力や、この労働力のための生活手段や、Bで充用される労働手段という形での固定資本や、生産材料などが引きあげられて、その代わりに貨幣での等価が市場に投げ入れられる。しかし、その一年間は、市場から引きあげられた生産資本の素材的要素を補填するためのどんな生産物も市場に投げ入れられない。…すなわち、社会は、たとえば鉄道建設のように一年またはそれ以上の長期間にわたって生産手段も生活手段もそのほかどんな有用効果も供給しないのに年間総生産から労働や生産手段や生活手段を引きあげる事業部門に、どれだけの労働や生産手段や生活手段をなんの障害もなしに振り向けることができるかを、前もって計算しなければならないということである。

[注32]
原稿では、ここに将来の詳論のための次のような覚え書きが挿入されている。
「資本主義的生産様式における矛盾。労働者は商品の買い手として市場にとって重要である。しかし、彼らの商品-労働力-の売り手としては、資本主義社会は、その価格を最低限に制限する傾向がある。-もう一つの矛盾。資本主義的生産がそのすべての潜勢力を発揮する時代は、きまって過剰生産の時代となって現われる。なぜならば、生産の潜勢力は、それによってより多くの価値が単に生産されうるだけでなく実現もされうるほどには、けっして充用されることができないからである。しかし、商品の販売、商品資本の実現、したがってまた剰余価値の実現は、社会一般の消費欲望によって限界を画されているのではなく、その大多数の成員がつねに貧乏でありまたつねに貧乏でなければならないような社会の消費欲望によって画されているのである。しかしこれは次の篇ではじめて問題になることである。」
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