摘要ノート「資本論」(49)

第22章 剰余価値の資本への転化

第一節 拡大された規模での資本主義的生産過程
商品生産の所有法則の資本主義的取得法則への変転

今度は、どのようにして資本が剰余価値から生ずるかを考察しなければならない。剰余価値の資本としての充用、または剰余価値の資本への再転化は、資本の蓄積と呼ばれる。

商品生産と商品流通とにもとづく取得の法則または私有の法則は、この法則自身の、内的な、不可避的な弁証法によって、その正反対物に一変する。最初は、所有権は自分の労働にもとづくものとしてわれわれの前に現われた。少なくとも、このような仮定が認められなければならなかった。なぜならばただ同権の商品所持者が相対するだけであり、他人の商品を取得するための手段はただ自分の商品を手放すことだけであり、そして自分の商品はただ労働によってつくりだされうるだけだからである。所有は、今では、資本家の側では他人の不払労働またはその生産物を取得する権利として現われ、労働者の側では彼自身の生産物を取得することの不可能として現われる。所有と労働との分離は、外観上両者の同一性から出発した一法則の必然的な帰結になるのである。このように、資本主義的取得様式は商品生産の本来の諸法則にはまっこうからそむくように見えるとはいえ、それはけっしてこの諸法則の侵害から生まれるのではなく、反対にこの諸法則の適用から生まれるのである。

貨幣の資本への最初の転化は、商品生産の経済的諸法則とも、そこから派生する所有権とも、最も厳密に一致して行なわれるのである。だが、それにもかかわらず、この転化は次のような結果を生む。
(1) 生産物は資本家のものであって、労働者のものではないということ。
(2) この生産物の価値は、前貸資本の価値のほかに、剰余価値を含んでおり、この剰余価値は労働者には労働を費やさせたが資本家にはなにも費やさせなかったにもかかわらず、資本家の合法的な所有物になるということ。
(3) 労働者は引き続き自分の労働力を保持していて、買い手が見つかりしだい再びそれを売ることができるということ。

今日機能している資本が経てきた周期的再生産や先行した蓄積の列がどんなに長くても、この資本はいつでもその最初の処女性を保持している。おのおのの交換行為-個別的に見たそれ-で交換の諸法則が守られるかぎり、取得様式は、商品生産に適合した所有権には少しも触れることなしに、徹底的な変革を経験することができる。同じこの権利は、生産物が生産者のものであって生産者は等価と等価とを交換しつつただ自分の労働によってのみ富を得ることができるという最初の時期に有効であるのと同様に、資本主義時代にも、すなわち、社会の富が、ますます大きくなる度合いで、絶えず繰り返し他人の不払労働を取得する地位にある人々の所有になるという時代にも、有効なのである。このような結果は、労働力が労働者自身によって商品として自由に売られるようになれば、不可避的になる。しかしまた、そのときからはじめて、どの生産物もはじめから販売のために生産されるようになり、いっさいの生産された富が流通を通るようになる。賃労働がその基礎になるとき、はじめて商品生産は自分を全社会に押しつける。しかしまた、そのときはじめて商品生産はそのいっさいの隠された力を発揮する。賃労働の介入は商品生産を不純にする、ということは、商品生産は不純にされたくなければ発展してはならない、ということである。商品生産がそれ自身の内在的諸法則に従って資本主義的生産に成長してゆくにつれて、それと同じ度合いで商品生産の所有法則は資本主義的取得の諸法則に変転するのである。

第二節 拡大された規模での再生産に関する経済学の謝った見解

アダム・スミスのドグマ

第三節 剰余価値の資本と収入とへの分割 節欲説

第四節 資本と収入とへの剰余価値の分割比率とは別に蓄積の規模を規定する諸事情

第五節 いわゆる労働財源

(注67) 可変資本と不変資本という二つの範疇は私によってはじめて用いられるものだということである。経済学はアダム・スミス以来、これらの範疇に含まれる諸規定を、流通過程から生ずる固定資本と流動資本との形態的相違とごちゃまぜにしている。
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