摘要ノート「資本論」(47)

第7編 資本の蓄積過程

 ある貨幣額の生産手段と労働力とへの転化は、資本として機能するべき価値量が通る第一の運動である。この運動は、市場すなわち流通部門で行なわれる。
 運動の第二の段階、生産過程は、生産手段が商品に転化されたときに終わり、この商品の価値はその諸成分の価値を超えている。すなわち、最初に前貸しされた資本に剰余価値を加えたものを含んでいる。それからまたこれらの商品は再び流通部門に投げ込まれなければならない。それを売ること、その価値を貨幣に実現すること、その貨幣をあらためて資本に転化させること、そしてそれが絶えず繰り返されることが必要である。このような絶えず同じ継起的諸段階を通る循環は、資本の流通をなしている。
 蓄積の第一の条件は、資本家が、自分の商品を売ること、また、こうして手に入れた貨幣の大部分を資本に再転化させることをすでに済ませているということにある。以下では、資本はその流通過程を正常な仕方で通るということが前提される。この過程のもっと詳しい分析は第二部で行なわれる。

剰余価値を生産する、すなわち不払労働を直接に労働者から汲み出して商品に固定する資本家は、その剰余価値の最初の取得者ではあるが、けっしてその最後の所有者ではない。あとで、それを、社会的に生産全体のなかで他の諸機能を果たす資本家たちや土地所有者などと分けなければならない。したがって、剰余価値はいろいろな部分に分かれる。剰余価値の断片はいろいろな部類の人々の手にはいって、利潤や利子や商業利得や地代などという種々の互いに独立な形態を受け取る。これらの剰余価値の転化形態は、第三部ではじめて取り扱われるものである。

なおまた、蓄積が行なわれるかぎり、資本家は、生産した商品の販売に、またそれによって得た貨幣を資本に再転化させることに、成功しているわけである。さらに、剰余価値がいろいろな部分に分かれるということは、剰余価値の性質を変えるものでもなければ、剰余価値が蓄積の要素になるために必要な諸条件を変えるものでもない。資本家的生産者が剰余価値のどれだけの割合を自分の手に確保し、どれだけの割合を他人に引き渡すにしても、とにかく彼はそれをいつでも第一番に取得するのである。それゆえ、われわれが蓄積の説明で想定することは、蓄積の現実の過程でも前提されているのである。他方、剰余価値の分割と流通の媒介運動とは、蓄積過程の単純な基本形態を不明瞭にする。だから、蓄積過程の純粋な分析のためには、蓄積過程の機構の内的な営みをおおい隠すいっさいの現象をしばらく無視することが必要なのである。

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