われわれはまず第一にマニュファクチュアの起源を,次にその単純な諸要素、すなわち部分労働と彼の道具とを、最後にマニュファクチュアの全体機構を考察した。そこで今度は、マニュファクチュア的分業と、すべての商品生産の一般的基礎をなす社会的分業との関係に簡単に触れておこう。
ただ労働そのものだけを眼中におくならば、農業や工業などという大きな諸部門への社会的生産の分割を一般的分業、これらの生産部門の種や亜種への区分を特殊的分業、そして一つの作業場のなかでの分業を個別的分業と呼ぶことができる。
社会のなかでの分業と、それに対応して諸個人が特殊な職業部面に局限されることとは、…相反する諸出発点から発展する。性の区別や年齢の相違から、つまり純粋に生理的な基礎の上で、自然発生的な分業が発生し、それは共同体の拡大や人口の増加につれて、またことに異種族間の紛争や一種族による他種族の征服につれて、その材料を拡大する。他方、生産物交換は、生産部面の相違をつくりだすのでなく、違った諸生産部面を関連させて、それらを一つの社会的総生産の多かれ少なかれ互いに依存しあう諸部門にするのである。この場合に社会的分業が発生するのは、もとから違ってはいるが互いに依存しあっていない諸生産部面のあいだの交換によってである。
マニュファクチュア的分業は、この社会的分業に反作用してこれを発展させ何倍にも複雑にする。労働用具が分化するにつれて、これらの用具を生産する産業もますます分化してくる。…マニュファクチュア的経営がある一つの商品の一つの特殊段階をとらえれば、この商品のいろいろな生産段階はいろいろな独立産業に転化する。
社会のなかでの分業と一つの作業場のなかでの分業とのあいだには多くの類似や関連があるにもかかわらず、この二つのものは、ただ程度が違うだけでなく、本質的に違っている。
マニュファクチュア的分業を特徴づけるものはなにか? それは、部分労働者は商品を生産しないということである。何人もの部分労働者の共同の生産物がはじめて商品になるのである。社会のなかでの分業は、いろいろな労働部門の生産物の売買によって媒介されており、マニュファクチュアのなかでのいろいろな部分労働の関連は、いろいろな労働力が同じ資本家に売られて結合労働力として使用されるということによって媒介されている。マニュファクチュア的分業は、一人の資本家の手中での生産手段の集積を前提しており、社会的分業は、互いに独立した多数の商品生産者のあいだへの生産手段の分散を前提にしている。マニュファクチュアでは比例数または比例関係の鉄則が一定の労働者群を一定の機能のもとに包摂するのであるが、これに代わって、いろいろな社会的労働部門のあいだへの商品生産者と彼らの生産手段との配分では偶然と恣意とが複雑に作用する。たしかにいろいろな生産部面は絶えず互いに均衡を保とうとしている。というのは、一方では、商品生産者はそれぞれある一つの使用価値を生産しなければならず、つまりある一つの特殊な社会的欲望を満足させなければならないが、これらの欲望の大きさは量的に違っていて、一つの内的な紐帯がいろいろな欲望量を結び合わせて一つの自然発生的な体系にするからであり、また他方では、社会が自分の処理しうる労働時間の全体のうちからどれだけをそれぞれの特殊な商品種類の生産に支出しうるかを、商品の価値法則が決定するからである。しかし、このようないろいろな生産部面が互いに均衡に近づこうとする不断の傾向は、ただこの均衡の不断の解消にたいする反作用として働くだけである。作業場のなかでの分業ではア・プリオリ(はじめから)に計画的に守られる規則が、社会のなかでの分業では、ただア・ポステリオリに(あとから)、内的な、無言の、市場価格の晴雨計的変動によって知覚される、商品生産者たちの無規律な恣意を圧倒する自然必然性として、作用するだけである。マニュファクチュア的分業は、資本家のものである全体機構のただの手足でしかない人々にたいして資本家のもつ無条件的な権威を前提にする。社会的分業は、独立の商品生産者たちを互いに対立させ、彼らは、競争という権威のほかには、すなわち彼らの相互の利害関係の圧迫が彼らに加える強制のほかには、どんな権威も認めないのであって、それはちょうど、動物界でも万人に対する万人の戦い[bellum omnium contra omnes] がすべての種の生存条件を多かれ少なかれ維持しているのと同様である。
同職組合規則は、一人の同職組合親方が使用してもよい職人の数を極度に制限することによって、親方が資本家になることを計画的に阻止していた。また、親方は、自分がそこで親方だったその手工業だけでしか職人を使うことができなかった。同職組合は、自分に対立するただ一つの自由な資本形態だった商人資本からのどんな侵害をもねたみ深く退けた。商人はどんな商品でも買うことができたが、ただ労働だけは商品として買うことができなかった。商人はただ手工業生産物の費用立て替え人[verleger] として容認されただけだった。外的な諸事情がいっそう進んだ分業を呼び起こせば、現にある同職組合がさらに細かい種類に分裂するか、または、新しい同職組合が古いものと並んで設けられたが、しかしいろいろな手工業が一つの作業場にまとめられるようなことはなかった。それゆえ、同職組合組織は、それによる職業の特殊化や分立化や完成はマニュファクチュア時代の物質的存在条件に属するとはいえ、マニュファクチュア的分業を排除していたのである。だいたいにおいて、労働者とその生産手段とは、かたつむりとその殻とのように、互いに結びつけられたままになっていた。したがって、マニュファクチュアの第一の基礎、すなわち労働者にたいして生産手段が資本として独立化されるということは、なかったのである。