マニュファクチュアの編成には二つの基本形態があって、それらは、ときにはからみ合っていることもあるとはいえ、本質的には違う二つの種類をなしており、またことにマニュファクチュアがのちに機械経営の大工業に転化されるときにもまったく違った役割を演じている。この二重性は製品そのものの性質から生ずる。製品は、独立の部分生産物の単に機械的な組み立てによってつくられるか、または相互に関連のある一連の諸過程や諸操作によってその完成姿態を与えられるかのどちらかである。
それぞれの部分労働者の部分生産物は、同時に、ただ同じ製品の一つの特殊な発展段階でしかないのだから、一人の労働者が別の労働者にまた一つの労働者群が別の労働者群に、その原料を供給するわけである。一方の労働者の労働成果は、他方の労働者の労働の出発点になっている。だから、この場合には一方の労働者が他方の労働者を働かせるのである。…このような、労働と労働とのあいだの、したがってまた労働者どうしのあいだの直接的依存関係は,各個の労働者にただ必要時間だけを自分の機能にのために費やすことを強制するのであり、したがって、独立手工業の場合とは、または単純な協業の場合とさえも、まったく違った労働の連続性や一様性や規則性や秩序が、ことにまた労働の強度が生みだされるのだということは、明らかである。…ある一つの商品にはただその商品の生産に社会的に必要な労働時間だけが費やされるということは、商品生産一般では競争の外的強制として現われるのであるが、…ところが、マニュファクチュアでは、一定の労働時間で一定量の生産物を供給するということが生産過程そのものの技術上の法則になるのである。
マニュファクチュア的分業は、ただ社会的全体労働者の質的に違う諸器官を単純化し多様化するだけではなく、またこれらの諸器官の量的な規模の、すなわちそれぞれの特殊機能を行なう労働者の相対数または労働者群の相対的な大きさの、数学的に確定された割合をもつくりだすのである。マニュファクチュア的分業は、社会的労働過程の質的な編成とともにその量的な基準と均衡をも発展させるのである。
全体労働者のいろいろな機能には、簡単なものや複雑なもの、低級なものや高級なものがあるので、彼のいろいろな器官である個別労働力は、それぞれ非常に程度の違う教育を必要とし、したがってそれぞれ違った価値をもっている。だから、マニュファクチュアは労働力の等級制を発展させるのでありこれには労賃の等級が対応するのである。一方では個別労働者が一つの一面的な機能に同化されて一生これに固着させられるとすれば、同じように他方ではいろいろな作業がこの先天的および後天的技量の等級制に適合させられる。しかし、どの生産過程にも、だれでも生地のままでできるようなある種の簡単な作業が必要である。このような作業も、いまではもっと内容の豊富ないろいろな活動契機との流動的な関連から引き離されて、専有の機能として固定されるのである。それゆえマニュファクチュアは、それがとらえるどの手工業のうちにも、いわゆる不熟練労働者という一部類を生み出すのであるが、それは手工業経営が厳格に排除していたものである。マニュファクチュアは、完全な労働能力を犠牲にして徹底的に一面化された専門性を練達の域にまで発達させるとすれば、それはまた、いっさいの発達の欠如をさえも一つの専門にしようとするのである。等級制的段階づけと並んで、熟練労働者と不熟練労働者とへの労働者の簡単な区分が現われる。後者のためには修行費はまったく不要になり、前者のためには、機能の単純化によって手工業者の場合に比べて修行費は減少する。どちらの場合にも労働力の価値は下がる。…修業費の消失または減少から生ずる労働力の相対的な減価は、直接に資本のいっそう高い価値増殖を含んでいる。なぜならば、労働力の再生産に必要な時間を短縮するものは、すべて剰余労働の領分を延長するからである。