摘要ノート「資本論Ⅱ」(0)

資本論 第2巻

第二部 資本の流通過程

序 文

われわれがいま剰余価値と呼んでいる生産物価値部分の存在は、マルクスよりもずっと前から確認されていた。また、それがなにから成っているかということ、すなわち、それにたいして取得者がなんの等価も支払っていない労働の生産物から成っているということも、大なり小なりの明瞭さで述べられていた。しかし、それから先には進まなかった。一方の人々 -古典派ブルジョア経済学者たち-は、せいぜい、労働生産物が労働者と生産手段所有者とのあいだに分配される量的関係を研究しただけだった。他方の人々 -社会主義者たち-は、この分配の不公正なことを見出して、この不公正を除去するためのユートピア的手段を探し求めた。彼らは両方とも、自分たちの前にあるがままの経済的諸範疇にとらわれていた。
 そこにマルクスが登場してきた。しかも彼のすべての先行者にまっこうから対立して現われた。先行者たちが解答を見たところに、マルクスはただ問題だけを見た。…ここでは、ある一つの経済的事実の単なる確認とか、この事実と永遠の正義や真の道徳との衝突とかが問題なのではなく、全経済学を変革する使命をもつ一つの事実が問題なのであり、この事実こそは全資本主義的生産の理解のための鍵を -その使い方を心得ている人に-提供するものだということだった。この事実を手がかりにして、彼はあらゆる既存の範疇を吟味した。…剰余価値がなんであるかを知るためには、彼は、価値がなんであるかを知らなければならなかった。リカードの価値論そのものがまず第一に批判のもとにおかれなければならなかった。こうして、マルクスは労働を研究してその価値形成的性質に到達した。そして、どんな労働が、どんな理由で、どのようにして、価値を形成するかということ、また、およそ価値とはこの種の労働の凝固したものにほかならないということを、はじめて確定した。…次にマルクスは、商品と貨幣との関係を研究して、どうして、どういう理由で、商品に内在する価値属性によって、商品が、そして商品交換が、商品と貨幣との対立を生みださざるをえないのかを論証した。この論証の上に築かれた彼の貨幣理論は、最初の全面的な貨幣理論であり、今では暗黙のうちに一般に承認されているものである。彼は貨幣の資本への転化を研究して、この転化が労働力の売買にもとづいていることを証明した。彼は、ここで労働のかわりに労働力を、価値創造的属性をもってくることによって、リカード学派の破滅の原因になった諸難点の一つを、すなわち資本と労働との相互交換を労働による価値規定のリカードの法則と調和させることの不可能を、一挙に解決した。彼は、不変資本と可変資本とへの資本の区別を確認することによって、はじめて剰余価値の形成過程をその現実の経過の最も微細な点にいたるまで示し、こうしてそれを解明することに成功した。それは、彼の先行者たちがだれもなしとげることのできなかったことである。こうして、彼は資本そのもののうちにある一つの区別を確認したのである。
この区別は、…経済学の最も複雑な諸問題を解決するための鍵を提供するものであって、これについては、ここで再び第二部が -そしてやがて示されるようになおそれ以上に第三部が-最も適切な証拠になっている。さらに彼は剰余価値そのものの研究を進めて、その二つの形態、絶対的剰余価値と相対的剰余価値とを見いだした。そして、これらの形態が資本主義的生産の歴史的発展のなかで演じてきた別々な、しかし両方とも決定的な役割を明らかにした。彼は、剰余価値の基礎の上に、労賃に関してわれわれのもっている最初の合理的な理論を展開し、また、はじめて資本主義的蓄積の歴史の輪郭とこの蓄積の歴史的傾向の叙述とを与えた。

リカード学派は 1830 年ごろ剰余価値にぶつかって難破した。この学派の解決しえなかったものは、その後継者の俗流経済学にとってもどうしても解決できないものだった。リカード学派がぶつかって沈没したのは、次の二つの点だった。
第一。労働は価値の尺度である。ところが、資本との交換では、生きている労働は、それと交換される対象化された労働よりも小さい価値をもっている。労賃、すなわち一定量の生きている労働の価値は、それと同じ量の生きている労働によって生産される生産物、またはこの労働量がそこに表わされる生産物の価値よりもつねに小さい。問題は、このような形では、実際に解決不可能である。問題は、マルクスによって正しく提出され、同時に回答も与えられた。価値をもっているのは、労働ではない。価値創造活動として労働が特別な価値をもちえないということは、ちょうど、重さがある特別な重量を、熱さが特別な温度を、電気が特別な電流強度をもちえないようなものである。商品として売買されるのは、労働ではなくて労働力である。労働力が商品になれば、その価値は、一つの社会的生産物としての労働力に具体化されている労働によって定まるのであり、それは労働力の生産および再生産のための社会的に必要な労働に等しいのである。だから労働力のこの価値にもとづく労働力の売買は、けっして経済学的価値法則と矛盾しないのである。
第二。リカードの価値法則によれば、二つの資本が同じ量の生きている労働を充用しその労働に同じ額を支払う場合には、他の事情がすべて同じならば、この二つの資本は同じ時間では同じ価値の生産物を生産し、またやはり同じ大きさの剰余価値または利潤を生産する。しかし、これらの資本が違った量の生きている労働を充用するならば、これらの資本が同じ大きさの剰余価値、または、リカード学派の言うところでは、同じ大きさの利潤を生産することはありえない。ところが、じつはその反対なのである。実際には、同じ大きさの諸資本は、それらが充用する生きている労働の多少にかかわらず、同じ時間では平均的に同額の利潤を生産するのである。だからここには価値法則に反する一つの矛盾があるのであって、リカードもすでにそれを発見していたのであるが、彼の学派はやはりこの矛盾も解決することができなかったのである。…この解決は、「資本論」の計画によれば、第三部でなされる。…価値法則を侵害しないだけでなくむしろそれを基礎としながらどうして均等な平均利潤が形成されるのか、また形成されざるをえないのか、…この第二部の輝かしい諸研究も、それらがこれまでほとんどだれも踏み込んだことのない領域で到達したまったく新しい諸成果も、ただ第三部の内容への前置きでしかないのであって、この第三部こそは、資本主義的基礎の上での社会的再生産過程のマルクスによる最終の成果を展開するのである。

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