われわれが自然、または人間の歴史、ないしはわれわれ 自身の精神活動を考察する場合に、まず第一にわれわれの前に現われてくるのは、もろもろの連関と交互作用が限り なくからみあった姿である。そこでは、なにものも、もとのままのもの、ところ、状態にとどまるものはなく、すべ てのものが運動し、変化し、生成し、消滅する。この原始的 で、素朴な、しかし実質上正しい世界観が、古代ギリシア哲学の世界観であって、これを最初にはっきりと言いあらわした人は、ヘラクレイトス( 紀元前540年頃 - 紀元前480年頃)である 。すなわち、「万物は存在し、また存在しない、なぜなら、万物は流動し、不断 に変化し、不断の生成と消滅のうちにあるからである」と。
古代ギリシア時代には弁証法的思考はまだ生まれでたままの単純さで登場しており、諸現象の全体としての姿の一般的性格を正しくとらえてはいても、この全体の姿を構成して いる個別的なものを説明するには、不十分である。それらの個別的なものを認識するためには、それらをその自然的また は歴史的な連関から取りだして、それぞれ別個に、その性 状、その特殊原因と結果などを研究しなければならない。たいていの領域ではすぐ手もとにあるまったくなまの材料から、まず形あるものを区別し、数え上げることから始めなければならなかった。そして運動は簡単な位置変化の理論である。こうして古代は、ユークリッド幾何学とアラビア人は十進法、代数学の初歩、近代的な数字、プトレマイオスの太陽系を遺産として残した。しかし、それはまた、自然の事物や自然過程をばらば らに、大きな全体的追関から切りはなしてとらえるという 習慣、したがって、運動するものとしてではなく静止して いるものとして、本質的に変化するものとしてではなく固定した恒常的なものとして、生きているものとしてではなく死んだものとしてとらえるという習慣を、われわれに残した。
ある物は存在するか存在しないかのどちらかである。同様に、物はそれ自体であると同時に他のものであることはできない。積極的なものと消極的なものとは、絶対的に排除しあう。原因と結果も、同様にたがいに不動の対立をなしている。この考え方は、いわゆる常識の考え方であるだけに、一見してきわめてもっともであるように思える。
しかし、このような考え方では、遅かれ早かれかならず限界に突きあた るのであって、その限界からさきでは一面的な、狭い、抽 象的なものとなって、解決できない矛盾に追いこんでしま う。というのは、形而上学的な考え方は、個々の 事物にとらわれてその連関を忘れ、それらの存在にとらわれてその生成と消滅を忘れ、それらの停止にとらわれてそ れらの運動を忘れるからであり、木を見て森を見ないから である。
また、詳しく考察するとわかるように、ある対立の両極、たとえば積極的なものと消極的なものとは、対立していると同時に、またたがいに分離しえないものであり、まったく対立していながら、たがいに浸透しあっているのである。同様に、 原因と結果も、個々の場合に適用するときにだけそのまま妥当 する観念であって、個々の場合を全世界との全体的関連のなかで考察するというと、たちまち両者は結びあい、普遍的な交互作用の映像のなかに解消してしまう。そこでは、 原因と結果とはたえずその位置を換え、いま、あるいはここで結果となっているものが、あそこ、あるいはつぎには原因になり、またその逆もおこなわれるのである。
両極的対立はすべて、一般に対立する二極相互の交代的変化によって条件づけられていること、これら二極が分離し対立するということは両者が対をなし統一されているということにのみなりたつことであって、また逆に両者が統一されていることは両者が分かれていることにのみなりたち、両者が対をなしていることは両者が対立していることにのみなりたつのだということ。
この近代のドイツ哲学は、ヘーゲルの体系において完結に達した。ヘーゲルの体系ではじめて自然的・歴史的、精神的世界の全体が一つの過程として、すなわち、不断の運動、変化、転形、発展のうちにあるものとして示され、またこの運動や発展の内的な連関を明らかにする試みがなされた。
ヘーゲルは「精神現象学」で次のように述べている。
「ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた統合されて保存されているのである」。(wikipedia)
ヘーゲルの「純粋理性の運動」は、エンゲルスによれば、「自己を定立し自己を自己自身に対立させ、自己を自己自身と合成することに、定立、反定立、総合、として定式化することに、あるいはここでもことばをかえて言うと、自己を肯定し、自己を否定し、自己の否定を否定することに、存する。しかしひとたび理性が定立として自己を定立するにいたるや、この定立、この思考は、自己を自己自身に対立させることにより、相矛盾する二つの思考,すなわち、肯定と否とに、然りと否とに、分裂する。反定立のなかに包含されているこの二つの敵対的諸要素の闘争が、弁証法的運動を構成する。然りが否になり、否が然りになり、然りが同時に然りと否になり、否が同時に否と然りとになる。このようにして対立物がみずからに平衡を保ち、自己を自己に中和し、自己を自己に揚棄する。この相矛盾する二つの思考の融合が、その総合たる一つの新しい思考を構成する。この新しい思考が、さらに二つに分裂して相矛盾する二つの思考となり、こんどはこの二つの思考が融合して、一つの新しい総合を形成する。このような産みの苦しみから一群の思考が生まれる。この思考群が単純な一カテゴリーと同様の弁証法的運動をつづけ、そして相矛盾する一思考群を反定立としてもつ。この二つの思考群から、この両者の総合たる一つの新しい思考群が成立する。 単純な諸カテゴリーの弁証法的運動から群が成立するのと同様に、諸群の弁証法的運動から系列が成立し、諸系列の弁証法的運動から全体系が成立する」。
ヘーゲルの思考方法がほかのすべての哲学者たちのそれにぬきんでていた点は、その基礎にある巨大な歴史的意識であった。その形式はひどく抽象的で観念論的だが、彼の思考の展開はつねに世界史の発展と並行して進んでおり、そして後者は本来ただ前者の検証にすぎないものとされている。たとえ正しい関係がこのことによってねじまげられ、逆立ちさせられたにしても、やはりいたるところで現実的な内容がはいりこんできた。
彼は、歴史のうちに発展を、内的関連を示そうとした最初の人であった。
マルクスは、ヘーゲルの論理学から、この領域におけるヘーゲルの真の諸発見をふくむ核心を取り出し、弁証法的方法からその観念論的外皮を剥ぎ取ってそれを思想展開の唯一の正しい形式となりうるような簡明なかたちにつくりあげるという仕事を引き受けることのできた唯一の人であったし、いまもそうである。
この方法によると、われわれは、歴史的、事実的にわれわれのまえにある最初の、そして最も単純な関係から出発する。ここではしたがって、われわれが見いだす最初の経済的関係から出発する。われわれはこの関係を分析する。それがひとつの関係であるということのうちに、それが、相互に関係し合う二つの側面をもつということもふくまれている。これらの側面のおのおのがそれ自体として考察される。そこから、それらが互いに関係しあうしかた、それらの交互作用が出てくる。解決を要求する諸矛盾が生じるであろう。しかし、われわれがここで考察するのは、われわれの頭のなかだけに生じる抽象的な思考過程ではなく、いつか実際に起こったか、あるいはいまなお起こっている現実の過程であるから、これらの矛盾もまた実践のうちで発展し、おそらくその解決を見出したであろう。われわれはこの解決のしかたを追求し、そしてそれがひとつの新しい関係の創出によっておこなわれたこと、そこでわれわれは次に新しい関係の相対立した二つの側面を展開しなければならないことなどを見いだすであろう。
私はどこでも「交換価値の共通の社会的実体」について語っておらず、むしろ諸交換価値(すくなくともその二つがなければ交換価値は存在しない)は、「それらの使用価値」(すなわち、ここではそれらの現物形態)からまったく独立した、それらに共通なあるもの、すなわち「価値」をあらわす、といっているのである。