資本主義の深淵

「高額バイト」「即日入金」、一見好条件に見える求人情報による「闇バイト」が社会問題になっている。現代の日本社会は高度に発達した資本主義国でありながら、太田母斑のように揺籃期の青あざを引きずっているのかもしれない。「貧困」が津波のように若者の心を蝕む。資本主義発祥の地イギリスの1840年代の「イギリスにおける労働者階級の状態」(エンゲルス)をひも解いてみよう。

 「プロレタリアはたよるものもない孤独の身である。彼は自分だけではただの一日も生きることはできない。… ブルジョアジーはプロレタリアにその生活手段を提供するが、それは一つの[等価物」とひきかえに、すなわちプロレタリアの労働とひきかえに提供するのである。そのうえブルジョアジーは、まるで労働者が自由意思で行動し、自由な、強制されない同意によって、成年に達した人間として自分と契約をむすんでいるかのような外観をも、労働者にあたえるのだ。美しい自由ではある。」

「古代の露骨な奴隷制度とちがう点があるとすれば、それはただ、現在の労働者が自由であるように見えるということだけである。なぜなら、いまの労働者は一度に売られるのではなくて、一日ごと、1週間ごと、1年ごとにすこしずつ売られるからであり、またある所有者が他の所有者に労働者を売るのではなく、労働者が自分で自分自身をこのような方法で売らなければならないからであるが、それというのも、労働者がある一有産者の奴隷であるどころか、有産階級全体の奴隷であるからである。いまの労働者にとっては、事態は根本的には古代の奴隷制度と同じままである。そして、こうした自由の外観は、一面ではいくらかの現実の自由をあたえるにちがいないとしても、他面では、だれも労働者にその生活を保障せず、またブルジョアジーが、もはや労働者の雇用、労働者の生存になんらの関心ももたなくなると、労働者は、自分の主人公であるブルジョアジーによっていつなんどきでも突き飛ばされ、餓死するままに放置されるかもしれない、という不利な立場にもあるわけである。これとは反対にブルジョアジーはこの制度のもとでは、古代の奴隷制度の場合よりもはるかに有利な地位にある。-ブルジョアジーは、自分の好きなときにいつでも、自分の使用人を解雇することができるばかりでなく、この解雇によって投下した資本を失うこともない。」

…(古代の) 奴隷には、すくなくとも自分の主人の私利私欲によって、自分の生存は保障されているし、農奴は、とにかく一片の土地をもち、この土地ですくなくともただ生きているだけの生活をする保障をもっている。-ところがプロレタリアは、たよりになるのは自分自身しかないのに、しかも同時に、自分の力を頼みにすることのできるようなしかたで、自分の力を使うことができない状態におかれている。」

「そもそも労働者はなんのために働くのか?創造の喜びにかられてなのか?生まれながらの衝動にかられてなのか?けっしてそうではない。彼はお金のために、労働そのものとはまったく関係のないあるもののために、働くのだ。彼は働かねばならないから働くのであ(る)」

"これらすべての原因が、労働者階級のあいだにおびただしい堕落を生みだすにしても、これらの原因にさらに新しい原因がくわわって、こうした堕落をいっそう拡大し、最高頂にまでかりたてる。トーリ党ブルジョアのアリソンは言う。
「悪徳がその誘惑の手をひろげ、歓楽がその巣窟をひろげるのは、また犯罪が刑罰をまぬかれるという希望によって促進され、怠惰がたくさんの実例によって促進されるのは、大都市においてである。ここ人間堕落のこの大都市をめざして、悪人と放蕩者が、単調な田園生活からのがれて流れ込んでくる。ここで彼らは、自分たちの悪事の犠牲者を見つけだし、冒す危険にたいする報酬としてもうけにありつく。美徳は暗黒におおわれてふみにじられ、犯罪はなかなか発覚しないのでただれるばかりに横行し、放蕩は刹那的な享楽によって報いられる。…大都市の堕落の大きな原因は、わるい実例が周囲に伝染する性質をもっていることと、悪徳の誘惑が青年層の身近に毎日もたらされる場合、その誘惑を避けることが困難なことにある。…万事が、性格の異常な堕落からおこるのではなく、貧民のさらされている誘惑が、ほとんど抵抗できないほど悪質であるためにおこるのである。…節操正しい人でもたやすく抵抗できないような、そしてとくに青少年ではふつう抵抗できないような貧困があり、執拗に迫ってくる罪悪がある。このような事情のもとにおける悪徳の蔓延は、生理的な伝染病とほとんど同じくらいに確実であり、しばしば同じように急速である」

ここまで読み進められた読者は暗鬱とした気分になられたことだろう、しかし、これが資本主義という社会の持つ深淵の像である。ここに世情で問題となる犯罪の温床があり「闇バイト」の深い根っこがある。