経済学がブルジョア的であるかぎり、すなわち、資本主義的秩序を社会的生産の歴史的に過ぎ去る発展段階としてではなく、反対に社会的生産の絶対的で最終的な姿として考えるかぎり、経済学が科学でありうるのは、ただ、階級闘争がまだ潜在的であるか、またはただ個別的現象としてしか現われていないあいだだけのことなのである。
フランスやイギリスでは資本主義的生産様式の敵対的な性格がすでに歴史的な諸闘争によって騒々しく露呈されたのちに、ドイツではこの生産様式が成熟に達したのであるが、そのときすでにドイツのプロレタリアートはドイツのブルジョアジーよりもはるかに明確な理論的階級意識をもっていたのである。それだからブルジョア経済学がドイツで可能になるかに見えたとき、それはすでに再び不可能になってしまったのである。
[27] 研究は、素材を細部にわたってわがものとし、素材のいろいろな発展形態を分析し、これらの発展形態の内的な紐帯を探り出さなければならない。この仕事をすっかりすませてから、はじめて現実の運動をそれに応じて叙述することができるのである。これがうまくいって、素材の生命が観念的に反映することになればまるで先験的な{a priori}構成がなされているかののように見えるかもしれないのである。
私の弁証法的方法は、根本的にヘーゲルのものとは違っているだけではなく、それとは正反対なものである。ヘーゲルにとっては、彼が理念という名のもとにひとつの独立な主体にさえ転化させている思考過程が現実的なものの創造者なのであって現実的なものはただその外的現象をなしているだけなのである。私にあっては、これとは反対に、観念的なものは、物質的なものが人間の頭のなかで転換され翻訳されたものにほかならないのである。
(当時、ドイツでは、ヘーゲルを「死んだ犬」として取り扱っていい気になっていた)それだからこそ、私は自分があの偉大な思想家の弟子であることを率直に認め、また価値論に関する章のあちこちでは彼に特有な表現様式に媚を呈しさえしたのである。弁証法がヘーゲルの手のなかで受けた神秘化は、彼が弁証法の一般的な諸運動形態をはじめて包括的で意識的な仕方で述べたということを、けっして妨げるものではない。弁証法はヘーゲルにあっては頭で立っている。神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには、それをひっくり返さなければならないのである。
弁証法は…現状の肯定的理解のうちに同時にまたその否定、その必然的没落の理解を含み、いっさいの生成した形態を運動の流れのなかでとらえ、したがってまたその過ぎ去る面からとらえ、なにものにも動かされることもなく、その本質上批判的であり革命的である。
資本主義社会の矛盾に満ちた運動は、実際的なブルジョアには、近代産業が通過する周期的循環の局面転換のなかで最も痛切に感ぜられるのであって、この局面転換の頂点こそが、一般的恐慌なのである。